「中教審報告書の概要]
中央教育審議会から「ゆとり」教育の反省をする異例の報告書がだされた。
その要旨は10月28日の読売新聞によれば
・現行の指導要領による「ゆとり教育」が行き詰まった原因を分析し、「授業時間を減らしすぎた」などと反省点を列挙した。
・中教審は1996年、それまでの詰め込み教育への反省から、思考力や表現力といった学力と、他人を思いやる心などを「生きる力」の育成を教育目標に掲げ、小中とも授業内容を3割削ったり、総授業時間数を1割近く減らしたりしたほか、教科を横断した学習で思考力などを身につける「総合学習の時間」の創設を盛り込んだ。
・しかし、授業時間の減少により、「基礎学力が低下した」「子供の学習意欲の個人差が広がった」といった批判が相次いだ。
・中教審が上げた反省点は
〈1〉「生きる力」とは何か、なぜ必要なのかを、国が教師や保護者に伝えられなかった
〈2〉「生きる力」の象徴として、「自ら学び自ら考える力の育成」を掲げたが、子供の自主性を尊重するあまり、指導をちゅうちょする教師が増えた
ゆとりが強調されたことで、教師が基本的な知識を教えることまで「詰め込み教育」ととらえ、避けるようになった。
〈3〉総合学習の時間を創設したが、その意義を伝えきれなかった
主要教科の授業時間が減って、観察やリポート作成の時間がなくなったと分析
〈4〉授業時間を減らしすぎたため、基礎的な知識の習得が不十分になり、思考力や表現力も育成できなかった
〈5〉家庭や地域の教育力の低下を踏まえていなかった
家庭や地域の教育力が低下し、生活習慣や規範意識を身につけさせる上で学校の役割が増していたのに、その認識もなかったと反省している。
・こうした反省を踏まえ、次の学習指導要領では、「生きる力」をはぐくむという理念は残しつつ、十分な授業時間の確保や道徳教育の充実を図る必要があると結論づけた。
[報告書のの意味することとその問題点]
1.家庭や地域の教育力の低下
敗戦後の日本古来の美風の無視、権利のことは教えても、義務や責任の軽視または無視の教育のを受けた父兄の一部の誤った家庭教育、共稼ぎ夫婦の増加に伴う、家庭内教育や躾けの欠如または不足
2.情報過多や躾け不足による教師の負担増加
私は 戦前の子供の暮らし http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20071020
で書いたように、昔はごく少数の中学校進学する子を除いて、また宿題を除いては全くと言う程勉強しなかった。それであまり問題にならなかったのは、当時の多くの子供達が素直で集中力や好奇心があり、先生達の話しをまるで乾いたスポンジのように吸収したからだと思う。 何故なら小学校時代は記憶力抜群の時期で、学校が教える内容や程度ではそれで十分だったからだ。
それに比して今の教師は大変だと思う、忍耐力に乏しく飽きやすさ、個性尊重の名の我が儘、授業を邪魔して人に迷惑をかけないと言う観念の希薄、情報過多の生徒に面白おかし3.前に書いた様に記憶力抜群の時期に教えれば覚えることを教えない時間を成果の上がらない綜合事業などに空費してきた。
4.個性を伸ばすことを優先して、ルールを守ることを教えるのがおろそかになった。
5.特に小中学校での大きな影響を与えている日教組の問題に相変わらずなにも触れていない。
特にゆとり教育は、教師達は文部省との闘争の結果得た待遇改善の一環として捉えており、土曜日の綜合学習に高校教師の一部を除いて殆ど参加していない。
これは明らかの教育レベルの低下だ。
6.報告には出ていないが、小学5、6年では、週1コマの英語授業が正式にスタートするそうだ。
これと学力低下や、総合学習による「生活力」向上などで、ただでさえ少ない授業時間と、大きな教師のロードを犠牲にしても英語の授業を進める価値はあるのだろうか。
それよりも正しい日本語の習得が先ではないだろうか。
[私の提案]
1.教育全体のシステム(英語教育)
小学校での躾けと重要学科の詰め込み教育→中学校での一部詰め込み教育、考える力の養成、社会活動の参加、各種職業の紹介、英語の導入、→高校での考える力の養成、個性の尊重、職業の実習、大学入学に必要な学力の向上、英語読解力の向上→大学での応用力の向上と実際のテーマでの活用、必要あれば英語による授業や論文提出
2.小学校
家庭での躾けはないものとして全面的な躾け教育。
忍耐力や頑張る力をつけさせる。
重要学科の詰め込み教育
本を読む習慣を付けさせる(例えば6年生で月に10冊程度)、時々(例えば月一回)感想文の提出
全国学力テスト結果でも、読解力や知識の活用力などに課題があることがわかった。読書、感想をなど言語教育の機会を増やすことが中学校以後の成果にも繋がる筈だ。
3.中学校
重要学科の詰め込み教育
社会、理科などは後で本を読めば判るものは内容の理解程度で済ませる。例えば年号を覚えるなどは止めさせる。
その代わり社会の内容についての関連の勉強をさせる。自主的にさせる。例えば応仁の乱の当時やイラクでは一般人はどのように考えたか、またはどう考えているかなど。
理科で言えば梃子の原理を応用した発明とか昆虫の関連の研究など。
自分の進路がなんとなくでも選択出来るように、NHKなどの資料を使って職業の紹介をする。
コミュニティーなどの活動に参加させる、またはそこの人達を授業に参加させる。
4.高校と大学
内容については省略するが、学生、生徒の教育の最終目標は大学なので、中教審はまず大学のあり方を検討すべきだ。
現在の入るのは難しいが、出るのは皆出られると言う大学制度は誰でもおかしいと思っているのに、手がつけられないのは何故だろう。
然も大学全入時代の到来が言われている。
このままでは大学の質の低下→日本全体の教育の質の低下の危機にあると思う。
5.生徒父兄の教育
これからの教育委員会の仕事は(私の持論によれば)不適切な教育で育った親の再教育だ。
6.教師の教育
種々提案されているほか、教師の民間会社や組織での実習は是非行うべきだと思う。
教師の加重が大きすぎることが言われているが、民間では普通の合理化の話しは全く聞かれない。
また教師達の考え方が、民間の人達と可なり意識が背離していることに気がつくと思う。
7.日教組の問題
日教組の活動の対応など、中教審の職務範囲外かも知れないが、教育問題解決の大きな障碍てなっているのは間違いないと思う。
8.私の提案で一番問題なのは父兄の考え方が多様化しており、このような提案に対して納得してくれるかどうかだ。
そうかと言って国が一方的に押しつける訳にはいかない。
結局は学校選択制にして、校長の教育のやり方についての明らかにし、父兄が納得した上で学校を選択するしかない。
また教師についても、募集制度にする必要があるだろう。
これは杉並区の和田中学校のように、
「和田中学校へ新入学を希望される皆様へ」や、「学校の経営方針はこちら」のように校長の方針を皆に知って貰う必要があるようだ。
参照:カテゴリー → 教育問題
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