ザ・キンクスは大好きなバンドだった。
ちょうど10代の終わりころに初期の60年代のアルバムが一挙に復刻され、それを繰り返し聴いた。
また、リーダーのレイ・デイヴィスがプロデュースしたプリテンダーズのアルバムには「ストップ・ユア・ソビング」や「アイ・ゴー・トゥ・スリープ」がカバーされていて、当時もう忘れられた存在に近かったキンクスの名前をかろうじて埋もれさせないでいた。
それが1983年にMTVの影響力によってカリプソ・タッチのシングル「カム・ダンシング」が爆発的にヒットしたことでバンドは息を吹き返し、デイヴィスも今日まで生き残っている。
美大出身のデイヴィスはブルースのカバーから始まって、次第に内省的な曲やコンセプトアルバムの作成に傾注し結果的に大衆性を失くしたのだが、1982年の初来日コンサートは上述の再ブレイク前だったものの、「懐かしのバンド」では決してなく、とにかく力強いパフォーマンスだった。
ストーリー仕立てで完成度の高い「カム・ダンシング」のビデオ・クリップ。
二役のデイヴィスの演技がほほえましい。
1980年、竹内まりやに提供した「不思議なピーチパイ」が大ヒットしていた加藤和彦が次に手掛けたのが、女優岡崎友紀の企画アルバム「ドゥ・ユー・リメンバー・ミー」だった。
正確に言うと加藤が担当したのはそのA面で、スマッシュヒットしたタイトル曲などのオリジナルへ、前年にオリビア・ハッセーに提供した曲や「アイドルを探せ」(シルビー・バルタン)、「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」(マリアンヌ・フェイスフル)のカバーでかさ増し?している。もちろん、やっつけ仕事ではなく、楽曲もアレンジもトノバンらしい、洒落て洗練されたものばかりで、もっと多くのひとに聴いてもらいたいものだと時々思う。
1989年に桐島かれんをボーカルに迎えて期間限定で再結成したサディステック・ミカ・バンドはおもにかれんの歌唱力で賛否両論あったけれど、こちらも企画としては非常に優れていたと今でも考えている。
桐島かれん、サイコーに自由
かつて私は恋をした とても楽しいものだった
でもそれはすぐに消え失せて
私のハートはガラスになった
本物の愛を見つけたと思っていたのに
ひどく疑わしくなって
愛は過ぎ去って行ってしまった
Once I had a love and it was a gas
Soon turned out had a heart of glass
Seemed like the real thing,
only to find
Mucho mistrust,
love's gone behind
ブロンディ初の全米ナンバーワン・ヒットとなった「ハート・オブ・グラス」(1979年)の歌い出しはこうだ。
この、自分にとっては同時代の曲が、東日本大震災のあった2011年の暮れに思いがけず自動車メーカーのCMに使用され、なんとなく気持ちが明るくなったものだ。
大ヒットしただけあって、これまでさまざまなアーティストが取り上げている。
最近だとマリー・サイラスのカバー(2020年)が有名だが、熱唱がちょっと苦手。
リリー・アレンのレゲエ・アレンジ(2009年)は、悲し過ぎて笑っちゃう、ユーモラスなカンジがとてもいい。
日本人だと、同時代のファッション・アイコン、甲田さんと木村くんのディップ・イン・ザ・プールによるカバーが秀逸だ。
1993年
僕が文章を書くようになったのは他愛もないきっかけで、レコードレビューを雀の涙のギャラで書く奇特な素人ライターを探していた廃刊寸前のロック雑誌からの依頼だった。
1984年、まだ大学生だった僕は生活費の足しにでもなればと引き受け、毎月二枚、編集部から届く新作レコードを聞いて、凡庸な評論を書きなぐった。誰も読んでいなかったし、ページが埋まればそれでよかった。
そのうちに、割り当てられる新作があまりにも面白くなくて、考えた末に少し前のレコード評をも混ぜ込むようにした。
その一枚目が、80年にリリースされたアメリカの女性ロッカー、パール・ハーバーの初ソロアルバム「恋の迷い子」だった。
前年にアメリカツアーを敢行したザ・クラッシュと知り合った彼女はベースのポール・シムノンと恋仲になり、のちにバンドの日本公演にも同行、最終日のアンコールにはステージに登場して「フジヤマ・ママ」を歌っている。
初日を観ていた僕はあとからそれを聞いて大いに悔しがったものだった。
そんなことをレコード評に書いたら初めて反響があった。
嬉しかった。
大学卒業までのたった一年余りの期間だったものの、あの時読み手が居ると意識したことが、自分の文章力を向上させてくれたと今でも思っている。
「恋の迷い子」は大好きなアルバムだけれど、アーティストの知名度不足からかCD化されなかった。たまにこのレコードが中古屋で投げ売りされている。
ある時、小樽のレコード屋で見つけたそれを手に取ったところが、通常より重い。
なんだろうな、と中身を出してみると、、、20代の頃とうとう入手できなかったこのアルバムからのシングル「カウボーイズ&インディアンズ」が入っていた!
僕は冷静を装いながら、レジに立っている店主に尋ねた。
これが入っていたのですが、この値段でいいですか?
彼は別段面白くもなさそうな顔をして、イイっすよ、と言い捨てた。
やったよ、パール!
小道具にトマホーク(斧)は調達できなかったのか
1982年2月1日 於中野サンプラザ
イギリス盤アルバムジャケット
イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン(1933年)
(ヴァース)
なに一つ現実だって思えない
あなたから離れているときは
抱きしめてもらっていないと
世界はまるで臨時の駐車場みたいなの
つかの間のシャボン玉
あなたの笑顔、シャボン玉の中の虹
ほら、ただの紙の月でしょ
ボール紙の海をすべってゆく
でも、本物だって信じることもできる
あなたが私を信じてくれているのなら
そう、ただのキャンバスの空
モスリンの木に垂れ掛かっている
でも、本物だって信じることもできる
あなたが私を信じてくれているのなら
あなたの愛がなければ
こんなのから騒ぎのパレード
あなたの愛がなければ
こんなの安物アーケードで演奏されてるメロディよ
バーナム&ベイリー・サーカスの世界ね
まやかしともいえる
でも、本物だって信じることもできる
あなたが私を信じてくれているのなら
ポール・マッカートニーによる2012年のカバー
関係ないけど、ウッディ・アレン監督作品(1999年)
“It’s Only A Paper Moon”
I never feel a thing is real
When I’m away from you
Out of your embrace
The world’s a temporary parking place
Mmm, mm, mm, mm
A bubble for a minute
Mmm, mm, mm, mm
You smile, the bubble has a rainbow in it
Say, its only a paper moon
Sailing over a cardboard sea
But it wouldn’t be make-believe
If you believed in me
Yes, it’s only a canvas sky
Hanging over a muslin tree
But it wouldn’t be make-believe
If you believed in me
Without your love
It’s a honky-tonk parade
Without your love
It’s a melody played in a penny arcade
It’s a Barnum and Bailey world
Just as phony as it can be
But it wouldn’t be make-believe
If you believed in me