私は母が経営する理容所に勤務しているが、毎週一回、土曜日に隣町の理髪店へ留守番を兼ねたアルバイトに行っていた。
娘夫婦から土日の孫の世話を頼まれ、しぶしぶ出かけて行く女店主を送り出すと、私はまず一通り店内の清掃を行ない、その後ぽつりぽつりとやってくる彼女の常連さんたちをカットして、午後7時には店仕舞いする。
今日は私の常連さんから予約の電話を少し前にいただいていた。
店主の古いおなじみさんではなく、私がこの店でアルバイトするようになってからふらりと現れたひと。
「仕事が12時少し前までかかるので、どこかでお昼をすませて午後1時ころにお邪魔するのはどうでしょう?」
私は思い切って言った。
「お店を離れることができないので私はお弁当持参なのですが、よかったら二人分作ってきましょうか?」
少しの間があったが、返事は楽しそうな声だった。
「それは嬉しいですね。ご厚意に甘えさせてください。では、仕事場から真っ直ぐそちらへ行きます。」
そのひとは静かに店のドアを開け、私の顔を見ると軽く頭を下げ、いつものように、いいですか?と訊いた。
私は彼を店の裏の、かつて女主人のお弟子さんたちが休憩室に使っていたのであろう古ぼけた空き部屋に通すと、手早くお弁当を広げた。
曲げわっぱの小判弁当箱に旬のたけのこご飯を詰めて来ていた。
私はその上に焼き海苔を小さくちぎって振りかけるよう促した。
香ばしくておいしいですね、と笑顔の彼に、このお店の海苔は日本一ですから、と私は答えたのだが、よく考えてみれば私たちは同じ街から来ていた。
付け合わせはふきの炒め煮にしてみた。
食べ終えた後、ひとしきり雑談に花が咲いた。
趣味のスポーツのこと、最近凝っていること、職場での出来事など。
やがてどちらからともなくフロアへ移動し、彼はバーバーチェアに掛けた。
カットしている間、彼はほとんど口を開かない。
理由を尋ねたところ、真剣に仕事をしている相手に対して失礼な気がして、と古風な答えが返ってきた。
「次にここへいらっしゃるのは、三週間後でしょうか。」
これは私の半ば独り言だったが、彼も同じことを考えていたようだった。
その証拠に、鏡の中の彼の目が心持ち大きくなっていた。
整髪を終え、立ち上がって背筋を伸ばした彼の背中に私は念入りにブラシをかけた。
「今日はとても楽しい時間をありがとう。」
きれいな手つきで財布から取り出されたお札を受け取り、古いレジスターからお釣りを差し出した私は、思いがけずその手をとられ、相手のもとへ引き寄せられた。