源義経は焦りの色を隠せなかった。
ここ壇ノ浦で首尾よく平家の水軍を打ち破ったものの、幼い安徳天皇は二位の尼(故平清盛の妻)に抱かれて入水し、行方が分からないままのうえ、二位の尼が腰に差していたという三種の神器の一つ、草薙剣(くさなぎのつるぎ)も見つかっていない。
戦さのあと始末も終わらないうちから、義経は味方の水軍から選りすぐりの潜水夫を出して安徳帝と剣の探索にあたらせたが、入ってくる報告ははかばかしいものではなかった。
ただ、幸いにも同じく二位の尼が持って入水した八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)は箱ごと浮かび上がって回収され、やはり箱に入っていた八咫鏡(やたのかがみ)も別な場所に流れ着いたところを発見された。
義経は背後に控えている兄頼朝の重臣、梶原景時が舌なめずりせんばかりの顔で自分を凝視しているのをひしひしと感じていた。
屋島の合戦での確執以来、鵜の目鷹の目、義経の落ち度を探しては鎌倉の頼朝に報告しているとの噂だった。
もはや、いてもたってもいられなくなった義経は兵に命じて小舟を漕ぎ出させた。
弁慶や佐藤忠信もあとを追った。
夕日が水面に乱反射してまぶしい。
潜水夫が浮かんだりまたもぐったりしているのを歯ぎしりしながら眺めていた彼は、やにわに甲冑を脱ぎ捨てると、海へ飛び込んだ。
不思議と息苦しくなかった。
どのくらい潜ったか、水底に足がついた。
すると遠くで手を振る人影が見えたような気がして、義経は小走りにそちらへ向かった。
母、常盤御前だった。
隣りには平治の乱で討たれた父源義朝もいた。
幼いころによくしてくれた清盛入道と、二位の尼が笑顔で現れた。
草薙剣を手にして、安徳帝の手を引いている。
屋島で戦死した忠臣佐藤継信(忠信の兄)と愛馬太夫黒も駆け寄ってきた。
義経は泣いた。
ああ、ここは極楽浄土だ。
海の下にも都はあるのだな。