1979年、国連のワルトハイム事務総長(当時)は大胆にもビートルズの4人に対し、政情不安定なカンボジアからの難民救済のため、再結成してのチャリティコンサートを依頼する。
ジョン・レノンをのぞく3人は、再結成でなければ、との条件付きで承諾するのだが、加熱するメディアの報道に嫌気がさしたジョージ・ハリソンとリンゴ・スターが降りてしまい、残ったポール・マッカートニーが企画を主導することとなった。
長くなるのでここからは端折って書くと、同年12月26日から4日間の日程でコンサートが開催された。
クイーン、クラッシュ、スペシャルズ、プリテンダーズ、ザ・フー、エルヴィス・コステロなど10組が登場、最終日29日のトリがポールのウイングスで、アンコールには出演者たちによる大合奏もあった。
のちに二枚組のライブアルバムが発売され、テレビ放映されている(下の映像)。
けれども、今一つ盛り上がらなかったのは、出演バンドにまとまりがなかったこと、あまりにもビートルズ再結成の期待が高まってしまったことからか。
実際、この日のステージを完全収録した海賊盤を聴くと、ジョン・レノンは出ないのか!ヘイ・ジュードを演ってよ!などのしつこいヤジにポールがイラついている様子がうかがえる。
このライブから約20日後の1980年1月16日、日本公演のため成田空港に降り立つポールはマリファナ所持の現行犯で逮捕、9日間の拘留ののち国外退去処分となり、公演は中止された。バンドも解散する。つまり、ウイングスにとって、このカンボジア難民救済コンサートははからずもラストライブとなってしまったのだった。今から40年前のことである。
1970年4月、ビートルズ解散直後に発表されたポール初のソロアルバム「マッカートニー」の収録曲。
エブリナイト
毎晩出掛けたい
嫌なことはすべて忘れて
朝は起きたくない
ベッドから出たくない
毎晩遊び歩きたい
毎日好きなことをしたい
でも今夜はここで
きみと一緒にいたいんだ
きみと一緒に
毎日街灯にもたれかかって
時間を潰している
毎晩枕に頭をのせ
心を休めている
朝になれば新しい日が始まり
夜とともにそれは終わる
でも今夜はここで
きみと一緒にいたいんだ
きみと一緒に
本当だよ、ママ