ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

エブリナイト

2020年01月05日 | Fab4

 1979年、国連のワルトハイム事務総長(当時)は大胆にもビートルズの4人に対し、政情不安定なカンボジアからの難民救済のため、再結成してのチャリティコンサートを依頼する。

ジョン・レノンをのぞく3人は、再結成でなければ、との条件付きで承諾するのだが、加熱するメディアの報道に嫌気がさしたジョージ・ハリソンとリンゴ・スターが降りてしまい、残ったポール・マッカートニーが企画を主導することとなった。

 長くなるのでここからは端折って書くと、同年12月26日から4日間の日程でコンサートが開催された。

クイーン、クラッシュ、スペシャルズ、プリテンダーズ、ザ・フー、エルヴィス・コステロなど10組が登場、最終日29日のトリがポールのウイングスで、アンコールには出演者たちによる大合奏もあった。

のちに二枚組のライブアルバムが発売され、テレビ放映されている(下の映像)。

けれども、今一つ盛り上がらなかったのは、出演バンドにまとまりがなかったこと、あまりにもビートルズ再結成の期待が高まってしまったことからか。

実際、この日のステージを完全収録した海賊盤を聴くと、ジョン・レノンは出ないのか!ヘイ・ジュードを演ってよ!などのしつこいヤジにポールがイラついている様子がうかがえる。

 このライブから約20日後の1980年1月16日、日本公演のため成田空港に降り立つポールはマリファナ所持の現行犯で逮捕、9日間の拘留ののち国外退去処分となり、公演は中止された。バンドも解散する。つまり、ウイングスにとって、このカンボジア難民救済コンサートははからずもラストライブとなってしまったのだった。今から40年前のことである。

 

1970年4月、ビートルズ解散直後に発表されたポール初のソロアルバム「マッカートニー」の収録曲。

 

エブリナイト

 

毎晩出掛けたい
嫌なことはすべて忘れて
朝は起きたくない
ベッドから出たくない

毎晩遊び歩きたい
毎日好きなことをしたい

でも今夜はここで
きみと一緒にいたいんだ
きみと一緒に

毎日街灯にもたれかかって
時間を潰している
毎晩枕に頭をのせ
心を休めている

朝になれば新しい日が始まり
夜とともにそれは終わる

でも今夜はここで
きみと一緒にいたいんだ
きみと一緒に

本当だよ、ママ

コメント
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