同僚のIさんが私の誕生日会を喫茶店アルファヴィルで開いてくれた。
それが、ランチタイムの営業中に常連客をも巻き込んでの小イベントという、一風変わったものだった。
当日は、オーナーお手製のケーキに立てられたろうそくの火を私が吹き消した後、弘前出身のIさんが腕によりを掛けて作った「イガメンチ定食」がワンコインでふるまわれた。
イガメンチとは、イカのゲソを包丁で叩いてミンチにしたものへ野菜のみじん切りを混ぜて揚げた津軽地方の郷土料理だそう。それに枝豆とショウガの炊き込みご飯。
お米はもちろん、「青天の霹靂」だ。さっぱりとした味で箸がよく進んだ。
さらに、「けの汁」(大根、人参、ごぼう等の根菜類とフキやわらび等の山菜、油揚げ、 凍み豆腐等の大豆製品を細かく刻んで煮込み、味噌や醤油で味付けした汁料理)を添えて。
「みなさん、食べながら聞いてくださいね。」
てろんとした花柄のクラシカルなワンピースを着たIさんはアンティークの椅子に浅く腰かけると、マイクスタンドの角度を念入りに調節して、本を手に取った。
そして、太宰治の作品の朗読が始まった。
初めは「きりぎりす」の冒頭部分。次に美知子夫人の回想、続いて「駆け込み訴え」、それから「津軽」、最後に「お伽草子」より「カチカチ山」。
津軽弁と標準語が交錯した朴訥な口調は、はじめ食器の音がしていた店内を静まり返らせ、彼女が読み終えると、割れんばかりの拍手が起こった。
Iさんの上気して赤くなった額には緊張と興奮のためだろう、玉のような汗が流れていた。
私は彼女の心づくしが嬉しくて泣いてしまった。
同時に、津軽のもてなしにいささか圧倒されてもいた。
※
「『駈込み訴え』は、その年の暮、こたつに入り、盃を含みながら、全文口述して出来ました。これは、昭和十五年二月号の「中央公論」新人創作特選に発表されましたが、「中央公論」から、依頼を受けたのは、これが最初でしたから、意気込みも、かくべつであったやうに思はれます。『駈込み訴え』のほかにも、この頃は、口述筆記のものが、かなりございます。『黄金風景』、『富嶽百景』の後半、『老ハイデルベルヒ』、『兄たち』、『女の決闘』などです。太宰は大てい、仕事にとりかかる前、腹案のまとまるまでに手間どり、「賢者の動かんとするや必ず愚色あり。」と、いつも、きまり文句を言っては、さかんに「愚色」を発揮するのでした。机に向ふときは、もう、出来ている様子で、一潟千里とはいかないまでも、書いては破り、といふことはなく、文反故も多くなく、憑かれた人のやうに、こはい面もちで書きつづけ、傍へ近より難い感じでした。右の片膝を立てて書くのが癖で、そのためか、座布団の皮は、大てい半年くらいで破れてしまひました。はじめGペンを使っていましたが、やがて、私の万年筆(アメリカ製のエバーシャープ)をとり上げ、これを最後まで使ひました。『駈込み訴え』のときは、三度に分けて、口述しましたが、淀みも言ひ直しもなく、さながら、蚕が糸を吐くやうに続いて、言った通り筆記してそのまま文章でした。」
津島美知子「思ひ出の断片」より(昭和31年、筑摩書房「太宰治研究」収録)