大学4年の春から、新宿西口の映画館運営会社で半年ほど平日事務のアルバイトに就いた。
新宿と渋谷、それに蒲田で計三館を運営していた小さな会社で、アルバイトがもう一人、少し前に入職したサカグチくんという年下の男の子がいた。
彼は中学からグレ始め、相当悪かったらしいのだが、本人曰く、グレ過ぎて、一周回ってフツーになったのだそう。その割に、尻ポケットにいつもジャックナイフを忍ばせていた。
ある日向かいの席の彼に尋ねられた。
「井浦さん、石井隆って知ってますか?」
知ってるよ。仙台出身だよね?「天使のはらわた 赤い教室」(1977年)を高校の時に映画館で観たよ。蟹江敬三がよかったね。
「観たんスか?!」口調が急に手下風になっている。
うん。そのあと本も何冊か買って、隠し持ってるよ。村木と名美の物語の。
「へええ!オレ、大ファンなんスよ!こんなところで同好の士に会うなんて!」
いや、そんな同好の士ってほどじゃないけど。そういえばサカグチくん、こないだ茶沢通り(三軒茶屋)の古本屋で、石井隆のサイン本が大量に並んでるのを見かけたよ。誰が売ったのだろうね。10冊近くあったな。よかったら代わりに買ってこようか。ダブったら、きみのを僕に譲ってくれるといい。
そのあと実際に買ってきて、二人で分けた。
僕らはそれをきっかけに仲良くなり、僕が就職準備のため退職し、彼もそこを辞めて江古田のレンタルビデオ店の店長になってからも交流は続いた。
週末に彼のアパートへ遊びに行き、こたつに入って「タクシードライバー」や「ローリング・サンダー」、「ビデオドローム」、「ブレードランナー」や「サイレント・ランニング」などを観ながら明け方まで安いバーボンを飲んだ。
ちょうどそのころ、石井隆脚本の「ラブホテル」(1985年)と「沙耶のいる透視図」(1986年)が相次いで公開され、サカグチくんの石井隆熱は沸点に達していた。
前者はいい映画だったし、後者(高樹沙耶のデビュー作)のラストは石井が好きな「雨のエトランゼ」へのオマージュだった。
そうこうしているうちに僕は家庭の事情で都落ちし、彼は彼でまもなく店を辞め、固定電話が不通になり、アパートも引き払って行方知れずになった。東京ではよくあることだ。
先週、石井隆の訃報に接してからずっと思っている。
サカグチくんは僕を思い出してくれているだろうか。ゴメン、ポール・シュレーダー論はまだ書いてないや。
「天使のはらわた 赤い教室」の村木(蟹江敬三)と名美(水原ゆう紀)
「ラブホテル」の村木(寺田農)と名美(速水典子)