私はNPO法人なごやかの理事長とM事務長の打ち合わせの場に居合わせることがあるのだけれど、そのやりとりがとても丁寧で、よそよそしさの一歩手前にすら聞こえることもあり、そのたび内心驚かされている。
ある時、理事長当人へそんな率直な感想を述べたところ、そうかな、と彼は苦笑した。
僕の性分から来るものかもしれないね。
僕自身は逆に、他法人の理事長や施設長が事務長さんに強い口調や馴れ馴れしい言葉づかいで話すのを聞いてびっくりしたことが何度かあるけど。
事務長と初めて会った時、ただの面接のつもりが、質問への彼女の答えがいちいち面白く楽しくてね、例えば、インディアンのテントはティーピーというとか、ロバート・ジョンソンの「死んだ小エビのブルース」は聞いたことがありますとか、レペット(フランスのバレエシューズメーカー)は素敵ですねだとか。
僕は思った、このさびれた港町のK市の人口が6万人だとして、女性はその半数、この中に、ティーピーや、ギターの腕前と引き換えに十字路で出会った悪魔へ魂を売ったとされるブルースマンを知っているひとはいるだろうか。いるわけない、このひとはひょっとすると、これから異業種にチャレンジして苦難の道を往く自分への、天からの授かりものなのかもしれない、と。
あれから10年以上たつけれど、いまだに何か尋ねるたび答えが面白くて、まあ、早い話が魅了され続けているのだね。
死んだ小エビのブルース
朝起きたらオレの小エビが全部死んじまってた
朝起きたら、ああ、オレの小エビが全部死んじまってた
オレはおまえのことを考えてたんだ、オレの嘆きが聞こえないのかい
オレにあるのは死んだ小エビだけ、誰かがオレの池で釣りをしてやがる
オレにあるのは死んだ小エビだけ、ああ、誰かがオレの池で釣りをしてやがる
おまえには最高のエサをやっただろ、ベイビー、オレにはひどいことなどできやしない
オレがなにをやっても、ベイビー、おまえはその口を突き出してきた
ところがおまえときたら、かつて釣りをしてた穴の前でオレを立ち尽くさせる
オレがなにをやっても、おまえはその口を突き出してきた
ところがおまえときたら、ベイビー、かつて釣りをしてた穴の前でオレを立ち尽くさせる
オレにあるのは死んだ小エビだけ、誰かがオレの池で釣りをしてやがる
オレにあるのは死んだ小エビだけ、誰かがオレの池で釣りをしてやがる
やつら、オレの出目魚を釣り上げて、骨をバーベキューにしてやがる
なあ、おまえはオレの小エビを取り上げて、オレを拒絶したよな
オレはなにもできない、自分でくつろげるまで
おまえはオレの小エビを取り上げて、ああ、オレを拒絶する
ベイビー、オレはなにもできない、自分でくつろげるまで
DEAD SHRIMP BLUES (Robert Johnson)
I woke up this mornin' and all my shrimps was dead and gone
I woke up this mornin', ooh, and all my shrimp was dead and gone
I was thinkin' about you, baby, why you hear me weep and moan
I got dead shrimps here, someone is fishin' in my pond
I got dead shrimps here, ooh, someone fishin' in my pond
I've served my best bait, baby, and I can't do that no harm
Everything I do, babe, you got your mouth stuck out
Hole where I used to fish, you got me posted out
Everything I do, you got your mouth stuck out,
At the hole where I used to fish, baby, you've got me posted out
I got dead shrimps here, 'n' someone fishin' in my pond
I got dead shrimps here, someone fishin' in my pond
Catchin' my goggle-eye perches, and they barbequin' the bone
Now you taken my shrimps, baby, you know you turned me down
I couldn't do nothin', until I got myself unwound
You taken my shrimps, oohh, know you turned me down
Babe, I couldn't do nothin', until I got myself unwound
これは多くの介護サービス事業所の理念として掲げられている一文だ。
利用者に対してそう心掛けるのであれば、自分自身もそうであった方がいい。
先日、県主催の介護職員合同入職式へ来賓として招かれた際、いつもの自分らしい正装―スーツにボウタイで出席した。
ひとによっては遊び着と勘違いされるかな、と内心少々迷ったのだけれど、実際に出てみると、驚くほどすっきりと晴れやかな気分になった。
自分は自分、誰がどう思おうと、ドレスコードは守っているわけだから、別にいいじゃない。
記念撮影した写真の中の僕は、たぶんいい表情をしているだろう。
この日の気づきを忘れずに、これからを過ごして行くつもりだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/5e/8cf948bf1e33001957a7f7dc1bd536d8.png)
テレビ映画版「華麗なるギャツビー」(2000年)より、ニック・
キャラウエイ(ポール・ラッド)
デスクワークと梅雨の合間を縫って七夕飾り用の笹竹を切り出し、事業所へ配布した。
この時季、利用者様も職員も心待ちにしているかと思うと正直、気が気でない。
7事業所を駆け足で回り終えると同時に、雨が落ちてきた。
思わず、グッド・ジョブ!と自画自賛している。
ぽらんデイサービスではちょうど利用者様が短冊作りに励まれていた。
シャチョーさんは何をお願いするの?と尋ねられた。
(遠くにいる大切な方が日々安穏でありますように)
(そのためなら、わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう)
いけね、後半は賢治先生だった。
「そうですね、やっぱり、商売繁盛ですよね!」
その場がどっと沸いた。