昨日から定食屋のレシート、ホテルのルームナンバー、車のデジタル時計、と数字の808にまとわりつかれているようで、僕は内心気が気でなかった。
早くこの場を立ち去ろうと車を発進させ、駐車場から公道に出ると、反対車線からハンドルを切り損ねたのか、軽自動車が突進してきた。
中年女性の慌てた表情が、フロントガラス越しにはっきり見えた。
無我夢中でハンドルを大きく切り、何とか衝突を避けることができたのだが、脇をすり抜けて行ったその軽自動車は歩道を越え、大音響とともに店舗のショーウインドーに突入した。
僕は路側帯に車を停め、現場に向かった。
店のガラスがめちゃくちゃに壊れている。
とっさに眺めたのは、ナンバープレートだった。
「808番ではない、、」
ほっとしたのもつかの間、事故の衝撃で落ちたのか、車のルーフ部分に斜めにめり込んでいる店の看板を見て、僕は震え上がった。
そこには「八百屋808」と大きく書かれていたので。
玉川上水で心中した太宰治の墓前で翌24年11月に自殺した自称弟子の作家田中英光。
その田中のデビュー作「オリンポスの果実」がドラマ化されたものを観たことがある(昭和52年放映)。
主演が山本紀彦、萩尾みどりがヒロインだった。
田中は太宰の「お伽草子」に収録された「カチカチ山」のたぬきのモデルだと言われているが、劇中劇でそんなシーンもあったように記憶している。
※
(前略)「ひやあ!」と脚下に奇妙な声が起る。わが親愛なる、しこうして甚だ純真ならざる三十七歳の男性、狸君の悲鳴である。「水だ、水だ。これはいかん。」
「うるさいわね。泥の舟だもの、どうせ沈むわ。わからなかつたの?」
「わからん。理解に苦しむ。筋道が立たぬ。それは御無理といふものだ。お前はまさかこのおれを、いや、まさか、そんな鬼のやうな、いや、まるでわからん。お前はおれの女房ぢやないか。やあ、沈む。少くとも沈むといふ事だけは眼前の真実だ。冗談にしたつて、あくどすぎる。これはほとんど暴力だ。やあ、沈む。おい、お前どうしてくれるんだ。お弁当がむだになるぢやないか。惜しいぢやないか。あつぷ! ああ、たうとう水を飲んぢやつた。おい、たのむ、ひとの悪い冗談はいい加減によせ。おいおい、その綱を切つちやいかん。死なばもろとも、夫婦は二世、切っても切れねえ縁の艫綱(えにしのともづな)、あ、いけねえ、切つちやつた。助けてくれ! おれは泳ぎが出来ねえのだ。白状する。昔は少し泳げたのだが、狸も三十七になると、あちこちの筋が固くなつて、とても泳げやしないのだ。白状する。おれは三十七なんだ。お前とは実際、としが違ひすぎるのだ。年寄りを大事にしろ! 敬老の心掛けを忘れるな! あつぷ! ああ、お前はいい子だ、な、いい子だから、そのお前の持つてゐる櫂をこつちへ差しのべておくれ、おれはそれにつかまつて、あいたたた、何をするんだ、痛いぢやないか、櫂でおれの頭を殴りやがつて、よし、さうか、わかつた! お前はおれを殺す気だな、それでわかつた。」と狸もその死の直前に到つて、はじめて兎の悪計を見抜いたが、既におそかつた。
ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、
「あいたたた、あいたたた、ひどいぢやないか。おれは、お前にどんな悪い事をしたのだ。惚れたが悪いか。」と言つて、ぐつと沈んでそれつきり。
兎は顔を拭いて、
「おお、ひどい汗。」と言つた。(後略)
同僚のIさんが私の誕生日会を喫茶店アルファヴィルで開いてくれた。
それが、ランチタイムの営業中に常連客をも巻き込んでの小イベントという、一風変わったものだった。
当日は、オーナーお手製のケーキに立てられたろうそくの火を私が吹き消した後、弘前出身のIさんが腕によりを掛けて作った「イガメンチ定食」がワンコインでふるまわれた。
イガメンチとは、イカのゲソを包丁で叩いてミンチにしたものへ野菜のみじん切りを混ぜて揚げた津軽地方の郷土料理だそう。それに枝豆とショウガの炊き込みご飯。
お米はもちろん、「青天の霹靂」だ。さっぱりとした味で箸がよく進んだ。
さらに、「けの汁」(大根、人参、ごぼう等の根菜類とフキやわらび等の山菜、油揚げ、 凍み豆腐等の大豆製品を細かく刻んで煮込み、味噌や醤油で味付けした汁料理)を添えて。
「みなさん、食べながら聞いてくださいね。」
てろんとした花柄のクラシカルなワンピースを着たIさんはアンティークの椅子に浅く腰かけると、マイクスタンドの角度を念入りに調節して、本を手に取った。
そして、太宰治の作品の朗読が始まった。
初めは「きりぎりす」の冒頭部分。次に美知子夫人の回想、続いて「駆け込み訴え」、それから「津軽」、最後に「お伽草子」より「カチカチ山」。
津軽弁と標準語が交錯した朴訥な口調は、はじめ食器の音がしていた店内を静まり返らせ、彼女が読み終えると、割れんばかりの拍手が起こった。
Iさんの上気して赤くなった額には緊張と興奮のためだろう、玉のような汗が流れていた。
私は彼女の心づくしが嬉しくて泣いてしまった。
同時に、津軽のもてなしにいささか圧倒されてもいた。
※
「『駈込み訴え』は、その年の暮、こたつに入り、盃を含みながら、全文口述して出来ました。これは、昭和十五年二月号の「中央公論」新人創作特選に発表されましたが、「中央公論」から、依頼を受けたのは、これが最初でしたから、意気込みも、かくべつであったやうに思はれます。『駈込み訴え』のほかにも、この頃は、口述筆記のものが、かなりございます。『黄金風景』、『富嶽百景』の後半、『老ハイデルベルヒ』、『兄たち』、『女の決闘』などです。太宰は大てい、仕事にとりかかる前、腹案のまとまるまでに手間どり、「賢者の動かんとするや必ず愚色あり。」と、いつも、きまり文句を言っては、さかんに「愚色」を発揮するのでした。机に向ふときは、もう、出来ている様子で、一潟千里とはいかないまでも、書いては破り、といふことはなく、文反故も多くなく、憑かれた人のやうに、こはい面もちで書きつづけ、傍へ近より難い感じでした。右の片膝を立てて書くのが癖で、そのためか、座布団の皮は、大てい半年くらいで破れてしまひました。はじめGペンを使っていましたが、やがて、私の万年筆(アメリカ製のエバーシャープ)をとり上げ、これを最後まで使ひました。『駈込み訴え』のときは、三度に分けて、口述しましたが、淀みも言ひ直しもなく、さながら、蚕が糸を吐くやうに続いて、言った通り筆記してそのまま文章でした。」
津島美知子「思ひ出の断片」より(昭和31年、筑摩書房「太宰治研究」収録)
日本人アーティストによるリトル・リチャードのカバーで、最も素敵なのは、間違いなくこれだと思う。
ジョン・レノンもアルバム「ロックンロール」(1975年)中で取り上げている、1956年のヒットシングル。そのB面曲だった「レディ・テディ」とのメドレーになっているところに、レノンの生真面目さが垣間見れる。
それから、映画「ラ・バンバ」(1986年)のこのシーンも、いい。
ただし主演のルー・ダイアモンド・フィリップスの歌唱シーンはロス・ロボスによる吹き替えだが。
そしてオリジナル。
NPO法人なごやかでは大小イベントの際に職員手作りのくす玉を割る。
これが意外なほど華やいだ雰囲気を瞬時に醸し出してくれることから、利用者様や来賓の方にとても評判がいい。
一体いつからこんな習慣があったのか、私はグループホーム虔十のY管理者に尋ねてみた。
彼女は笑って話し出した。
「あれは10年以上前、私が管理者を務めることになっていた小規模多機能ホーム虔十の開所式の前日、開所準備を担当していたIさんがなごやか理事長から当日の進行についての最終確認を受けていたの。それが、来賓が3名なのに、その方々に行なっていただく役割が祝辞と乾杯の2つしか準備されていなくて、理事長はひどく気を悪くしていた。利用者様にそれぞれ役割を持っていただきましょう、と常々この介護福祉の世界では言われているのだから、来賓にもご用意するのは当然ではないか、と。でもね、それで終わらないのが理事長で、しょげているIさんの様子を見ると、じゃあ、くす玉を作って割っていただくのはどうだろう、と提案した。面白いな、と私は思った。負けず嫌いのIさんはそれから図書館へ行って作り方を調べ、当日可愛らしいくす玉をしっかり準備してきた。それが始まりよ。」
私のなめとこデイサービスでも、四角い段ボール箱で作った珍妙な形のものが登場したり、ヒモを引っ張っても割れなかったり、果ては本体ごと落下したり、とアクシデントも多いのだが、それはそれで皆が笑顔になれる魔法の珠だと思っている。