先週のことになってしまいますが・・・
6月5日(火)に勉強会で総勢34名で米沢まで行ってきました
台風が接近していて翌日は雨でしたから間一髪セーフでした
ここ数年は雨に降られたことがないですから、さすが晴れ女集団です
今ごろになってしまいましたが 毎年恒例の女性学級の勉強会ですからリポートしておかないと・・・・
今回はnamiが担当の係りになっていたので集金やら添乗員まがいなことをアタフタしながらこなしました
朝7:30に出発して那須塩原ICから飯坂ICを降りて最初の目的地上杉神社に到着したのが10:00過ぎ
米沢観光物産協会内おしょうしなガイド事務局によるボランティアガイドにお世話になりつつ説明を聞きながらの観光
「おしょうしな」って何 当地の方言で“ありがとう”の意味だそうです
1時間ほど上杉城址苑の散策しながら説明を聞いたが複雑で頭の中の整理が追いつきません
米沢は伊達市が212年間、上杉が272年間、ここに居城を構えた。
上杉謙信の養子となった景勝(米沢初代藩主)の重臣直江兼続によって基礎が築かれ上杉氏の居城として幕末まで発展した。
(謙信の死後、もう一人の養子景虎との戦いに勝利し、武田信玄の娘菊姫と結婚。越後を統一(90万石)。
川中島合戦で武田信玄上杉謙信で敵対していたのに親戚にっなちゃうなんて複雑
その後秀吉によって会津120万石に国替され 1600年に家康に敵対して米沢30万石に厳封
ここらへんはNHK大河ドラマ「天地人」を見ていたのでなんとなく辛うじて納得
上杉鷹山公の座像
松崎神社
舞鶴橋を渡ると上杉神社(旧米沢城址本丸跡)
境内に入るとすぐ左に上杉謙信のお墓跡がありました
米沢城は1591年まで伊達氏の本拠地が置かれ、伊達正宗が出生した城でもある
上杉鷹山像
第9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている
アメリカ大統領ジョン.F.ケネディーが最も尊敬する政治家と言ったなんてすごい人だったんですね
稽照殿
謙信公を主に、直江兼続公、鷹山公の遺品を中心に平安時代から江戸時代ま上杉の貴重な文化財を展示。
あの大河ドラマで見た愛の甲冑もここに展示されてる
上杉神社
本殿
赤い鮮やかな菱門橋
菱門橋を渡って出ると伯爵邸
米沢城二の丸跡に明治29年、上杉茂憲(うえすぎもちのり)伯爵の本宅として造設される
大正8年米沢大火で類焼し焼失
大正14年に、胴板葦き、総ヒノキの入母屋づくりの建物と、東京浜離宮に依って造園された庭園が完成
鯉がデカイ
近くに行くと寄ってくる人懐こい鯉でした
ランチは3人でせっかくなので米沢牛を食べに吉亭へ
ここ吉亭は江戸時代末期より「津の国屋吉貞(よしてい)」の屋号で商家を営んできた吉澤家の歴史ある建物と庭園
織物業を経て、現在は料亭を営んでいる。米沢の旧市内の町並みを代表する建造物で国の有形文化財
こんな由緒あるところで、それも米沢牛ステーキでランチは贅沢です
でもたまになので良しとして
庭園を見ながら3人で昼から赤ワインと生ビールも注文して熟年の女子会です
それぞれ別メニューで和風ステーキ牛網焼重にnami は味噌焼きステーキをチョイスしました
網焼きで味わう上品なステーキでした
さすがに高級なのでフリーテーブル席は我らだけで、貸切状態でした
食後はほろ酔い気分で散策を続行
ランチのお陰でちょっと足にきてしまいました
食べたばかりなのに集合場所で名物の米沢牛コロッケをゲット
サクサクして美味しい
namiの足です 雀さんがnamiコロッケの落ちた衣を食べに超接近 餌付け成功しました
次の目的地に向かう途中にバスの中から見た旧米沢高等工業学校本館
明治後半に建設されたルネッサンス様式の木造建築。昭和48年に国重要文化財に指定されています
ちらっとしか見えませんでしたが、とても美しい建物でした
最後の目的地の春日山林泉寺(りんせんじ)へ
ここは上杉家の武将や直江兼続のお墓がある春日山 林泉寺です。
直江兼続とその妻お船が眠るお墓
お墓が珍しい形をしてました
上の写真はお墓であり、家のような建物に穴が開いている。あれは米沢や置賜地方に見られる独特のお墓で『万年堂』と呼ばれる物です
ここ林泉寺を後に帰途に
旅行前に多少は歴史の勉強をしてから来たので有意義な旅行になりました
それでも理解するにはいろいろ背景が複雑で
米沢は歴史のロマンいぱいの魅力ある城下町でした
最後に途中高速のPAで塩アイスクリームを食べて、玉こんにゃく食べて
無事に夕方5時半には帰ってきました
これでリポート終了
来年は何処に勉強に行くのかな楽しみ