本をなくすことはめったにないのですが、実際になくした本は格別に口惜しく、内容もすばらしかったのかもしれない、などと思ってしまいます。
高校生か大学生の頃に読んだ梅棹忠夫『知的生産の技術』に、若きレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯を描いた、メレジュコーフスキーの『神々の復活』という名前の本のことが書かれておりました。「発見の手帳」という章だったかと思いますが、レオナルド・ダ・ヴィンチが常に手帳を持ち歩き、たいへんなメモ魔だったというエピソードとともにずっと興味を持っておりました。
独身時代に、山仲間の相棒と一緒に奥多摩に行ったとき、駅前の古書店で旺文社文庫の同書を見つけました。驚喜して購入し、テントに戻って読もうとしましたが、何かの用事で二人ともテントを離れたところ、見事に盗まれてしまいました。食料や荷物はそのまま残っていましたので、山で読む本を忘れてきた手癖の悪い山男かハイカーが雑誌でもあさりに回り、ちょうどいいと持って行ったのでしょう。以後、この本を見かけたことがありません。俗に逃がした魚は大きいといいますが、まさにそのとおりで、今もって残念無念な記憶です。
同書は、メレシコーフスキー著(米川正夫訳)『レオナルド・ダ・ヴィンチ』という書名の上下二巻で河出書房新社からも出た(1987)ようですが、当時はその存在を知らず、現在は品切れで重版未定とのこと。図書館で読むことができるかどうか、探しているところです。
高校生か大学生の頃に読んだ梅棹忠夫『知的生産の技術』に、若きレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯を描いた、メレジュコーフスキーの『神々の復活』という名前の本のことが書かれておりました。「発見の手帳」という章だったかと思いますが、レオナルド・ダ・ヴィンチが常に手帳を持ち歩き、たいへんなメモ魔だったというエピソードとともにずっと興味を持っておりました。
独身時代に、山仲間の相棒と一緒に奥多摩に行ったとき、駅前の古書店で旺文社文庫の同書を見つけました。驚喜して購入し、テントに戻って読もうとしましたが、何かの用事で二人ともテントを離れたところ、見事に盗まれてしまいました。食料や荷物はそのまま残っていましたので、山で読む本を忘れてきた手癖の悪い山男かハイカーが雑誌でもあさりに回り、ちょうどいいと持って行ったのでしょう。以後、この本を見かけたことがありません。俗に逃がした魚は大きいといいますが、まさにそのとおりで、今もって残念無念な記憶です。
同書は、メレシコーフスキー著(米川正夫訳)『レオナルド・ダ・ヴィンチ』という書名の上下二巻で河出書房新社からも出た(1987)ようですが、当時はその存在を知らず、現在は品切れで重版未定とのこと。図書館で読むことができるかどうか、探しているところです。