ふだん、モーツァルトの「レクイエム」を聴こうと思い立つことは、まずありません。学生時代、同級生が亡くなったときなど、廉価なLPに収録された音楽に、思わず厳粛な気持ちになりました。就職したての頃にも、急性白血病で亡くなった同級生の葬儀に参列したとき、新婚だったご主人の様子は、傷ましいものでした。また、父君と同年齢で同じ病気で亡くなった同業仲間の葬儀では、牧師さんが、クリスチャンだった彼の最期の様子を伝えました。いずれのケースでも、教会で行われた葬儀は、参会者の悲しみの心を鎮め、故人の魂の平安を願うものとして執り行われ、最後に歌われる賛美歌には、一種のカタルシスの作用が期待されていました。ですが、モーツァルトの「レクイエム」は、魂の平安と浄化を願うためのものというよりは、もっと直截に訴えかける悲痛さを感じてしまいます。
学生時代に聴いていたのは、1950年代のカール・ベーム指揮によるモノラル録音。最晩年のベームには見られない、厳しく引き締まった表現でした。こんな時でもなければ滅多に手を出さないこの曲を、いま聴いているのは、カラヤン指揮ベルリン・フィル、ウィーン楽友協会合唱団によるもの(UCCG-3771/2)。劇的で緊迫感のある表現です。
震災では、あまりにも多くの命が失われました。思わず運命とやらに非を鳴らしたくなる事態です。加えて、福島第一原発の現状は、相変わらず予断を許さない危機的な状況が続きます。まるで綱渡りです。冷却機能の回復ができるかどうか、最悪の事態を回避するために、長期戦になる模様。おそらく今は、大いなる存在に救いを乞うよりも、それぞれが為すべきことを為す時なのでしょう。
学生時代に聴いていたのは、1950年代のカール・ベーム指揮によるモノラル録音。最晩年のベームには見られない、厳しく引き締まった表現でした。こんな時でもなければ滅多に手を出さないこの曲を、いま聴いているのは、カラヤン指揮ベルリン・フィル、ウィーン楽友協会合唱団によるもの(UCCG-3771/2)。劇的で緊迫感のある表現です。
震災では、あまりにも多くの命が失われました。思わず運命とやらに非を鳴らしたくなる事態です。加えて、福島第一原発の現状は、相変わらず予断を許さない危機的な状況が続きます。まるで綱渡りです。冷却機能の回復ができるかどうか、最悪の事態を回避するために、長期戦になる模様。おそらく今は、大いなる存在に救いを乞うよりも、それぞれが為すべきことを為す時なのでしょう。