電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

Googleがあるのに、なぜ記録しようとするのか

2011年03月31日 06時01分14秒 | コンピュータ
テキストファイルで備忘録を作成しはじめて、20年以上になります。日記とは異なり、感想や思いのたけを綴ることが主眼ではありませんで、もっぱら出来事の記録や思いつき、雑多な備忘メモが主体となります。

Googleがあるのに、なぜ記録しようとするのか?

うーむ、もっともです。
たしかに、例えば山形交響楽団の定期演奏会の日時や場所、曲目やゲストなどは、Googleで検索すれば詳しく知ることができるでしょう。内外で起こった社会的な事件についても、新聞記事などが検索にヒットします。その意味では、こうした事柄を個人的に記録することは、あまり意味がないことかもしれません。

しかし、個人的な事柄はどうか。私たちの記憶というのは、あまり確かなものではありません。とくに、年齢とともに進行する記憶力の減退を考えると、公の報道や記録には登場しない個人的な事柄を記録する意味はあります。たとえば、

今、はいている冬タイヤは、何シーズンめだったろう?
使っている携帯電話の途中解約のしばりが解けるのは、何年の何月だったかな?
○○の件で相談を受けた人の名前は誰で、いつ頃だったのだろう?
何かで読んだ記憶があるけれど、あれは実に鋭い指摘だった。正確にはどんな言い回しだったかな?
3.11の地震・津波災害や福島第一原発の事故に関して、自分がどんなことを考え、調べようとしたのだったろう?

などなど、パーソナルな記録に頼らなければならないケースは少なくありません。こうした記録が備忘録に残っていれば、検索で日付と概要を知ることができ、関係資料や当時の手帳・ノート等により詳細に当たったり、友人知人を通じて問い合わせたり確かめたりすることができます。その意味では、Googleに出てこない、あるいは検索語が一般的でないために探しにくい事柄などが、パーソナルに記録する価値がある、と言えます。

さて、今日で三月も終わり。写真は三月になってから降った、某所の(たぶん)今年最後の雪景色。さすがにもう降らないでほしいものです(^o^;)>poripori
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