電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

藤本ひとみ『維新銃姫伝』を読む

2013年12月10日 06時03分04秒 | 読書
今年は、NHK-TVの大河ドラマ『八重の桜』をおもしろく観ています。戊辰戦争における会津攻防戦を前半のクライマックスとして、後半は明治の京都を舞台として、新島襄と再婚し同志社英学校の運営に苦心する話が中心でした。
これをきっかけに読んだ『幕末銃姫伝』に続き、「会津の桜・京都の紅葉」の副題を持つ、藤本ひとみ著『維新銃姫伝』を読みました。前著に続く物語は、大河ドラマとの相乗作用で、なかなか興味深く、おもしろいものです。
本書の構成は、

第1章 会津開城
第2章 求婚
第3章 斗南の苦闘
第4章 それぞれの決断
第5章 再会
第6章 銃姫と武士

というものですが、本書ではテレビの大河ドラマとは想定が異なっている点がいくつかあるようです。
例えば本書では、山本八重と山川大蔵との相思とすれ違いをドラマのポイントとしていますし、兄・山本覚馬の支えとなった時栄さんは、ずいぶん狡猾な女性のように描かれています。また、西南戦争での西郷隆盛の描き方なども、番組とはだいぶ違っています。どちらがどうだと言うよりも、映像として求められるものと想像力の世界との違いなのでしょう。
この点、最も典型的な例が、大久保利通の描き方かもしれません。捕えられ、裁判にかけられる江藤新平を見たその日、山川大蔵が聞いたのは、大久保が腰巾着の岩村に言った言葉:

「おい、岩村、江藤のあのくやしそうな顔を見たか。笑止千万。わが生涯にこれほど愉快なことはない」
「今夜は祝杯だ」

という具合です。それが番組では、西南戦争終結後に大久保が西郷の戦死を嘆く場面を作っていました。このあたり、万人向けに配慮しなければならない大河ドラマと、「嫌なヤツ」大久保利通という作者個人の考えを強く打ち出せる小説との違いでしょう。

いずれにしろ、会津の側から維新を描けば、御宸翰の存在や勅許の偽造など、皇國史観あるいは薩長史観とはまるで違うものになってしまいます。この大筋では、本書も大河ドラマも共通のものになっているようで、このあたりがおそらく歴史の実状に近いのでは、と思われます。

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