2013年に現代書館から刊行された単行本で、稲川實著『西洋靴事始め~日本人と靴の出会い』を読みました。坂本龍馬が西洋の靴をはいて写真を撮っている例はありますが、基本的に江戸時代は西洋の靴とは無縁です。明治維新・文明開化と共に、特に軍隊の近代化の影響で、西洋の靴が普及したのでしょう。では、その嚆矢となったのは誰で、どんな経緯で靴が普及したのか。ちょいと興味深いものがあります。
本書の構成は、次のとおりです。
業界団体の機関紙に著者が連載した記事をまとめた本書は、日本の靴業の祖を、千葉県佐倉の人・西村勝三(1836~1907)とし、彼が洋靴製造を近代産業に育て上げ、今日の靴産業の礎を築いたと評価しています。明治3年3月、築地入船町に軍靴製造所を開業し、当初は香港で靴製造業に従事していた清国人の藩浩(はんこう)を雇って靴工を養成していましたが、明治5年からはオランダ人のF.J.レ・マルシャンやプロシャ人ボスケ等を雇い、指導に当たらせたとあります。ただし、あくまでも日本に来ていた靴職人を雇った形であり、長州ファイブが密航留学してご縁ができ、ウィリアムソン教授らの推薦を得て招聘することができた理化学関係のお雇い外国人教師とは違うようです。
本書の構成は、次のとおりです。
第1章: 西洋靴事始め
第2章: 伊勢勝とレ・マルシャン
第3章: 明治・大正靴事情
第4章: 軍靴の響き
第5章: 向島の西村勝三像
第6章: 西村記念室の至宝
第7章: 靴業の先人たち
第8章: 靴商売百花繚乱
業界団体の機関紙に著者が連載した記事をまとめた本書は、日本の靴業の祖を、千葉県佐倉の人・西村勝三(1836~1907)とし、彼が洋靴製造を近代産業に育て上げ、今日の靴産業の礎を築いたと評価しています。明治3年3月、築地入船町に軍靴製造所を開業し、当初は香港で靴製造業に従事していた清国人の藩浩(はんこう)を雇って靴工を養成していましたが、明治5年からはオランダ人のF.J.レ・マルシャンやプロシャ人ボスケ等を雇い、指導に当たらせたとあります。ただし、あくまでも日本に来ていた靴職人を雇った形であり、長州ファイブが密航留学してご縁ができ、ウィリアムソン教授らの推薦を得て招聘することができた理化学関係のお雇い外国人教師とは違うようです。