電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

原木ナメコでナメコおろしとナメコ汁

2006年11月16日 20時16分33秒 | 週末農業・定年農業
先日、山間部に在住の知人から原木ナメコ(*)をたくさんいただきました。原木ナメコというのは、おがくずを用いて通年栽培するものとは異なり、ブナやミズナラなどの間伐材を並べて自然の中で育てたナメコのことをいいます。収穫までに1年半から2年と、時間も手間もかかる、たいへんぜいたくな栽培法で育てたナメコです。そのぶん、香りも味もたいへんにおいしいものです。
残念ながら彩りを添える食用菊がありませんでしたが、まずは畑から抜いてきたばかりの大根おろしでナメコおろし。それからナメコ汁でしょう。ついでにごぼうのてんぷらと漬け込んで保存しておいた秋田フキの煮物、キムチを添えた白菜の漬物にあつあつのおでん。いや~、山の幸・里の味は格別です。幸せ~!

(*):「原木ナメコ」とは
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モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」を聞く

2006年11月15日 21時44分40秒 | -オーケストラ
ここしばらく、通勤の音楽として、11月20日(月)の山響第176回定期演奏会、オール・モーツァルト・プログラムの予習をしています。先に掲載したのがピアノ協奏曲第9番「ジュノーム」で、お次は交響曲第38番「プラハ」です。

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏、DENON の MyClassicGallery シリーズの中の1枚で、GES-9209という型番のCDです。1982年9月に、ドレスデンのルカ教会でデジタル録音されました。初出はLPが1983年6月(OF-7063)で、初出CDは1986年に出ていますが、このCDはたぶんもっと後でしょう。

曲は、古典派交響曲の定番のソナタ形式四楽章の枠を外れ、全部で三つの楽章だけ。いわゆるメヌエットがありません。

第1楽章、アダージョ、アレグロ。重々しい斉奏で始まり、重苦しいアダージョから一転して軽やかでわくわくするようなアレグロに変わります。スコアは持っていませんが、ブロムシュテットは繰り返しをきちんと実行しているように感じます。
第2楽章、アンダンテ。比較的ゆったりとした優雅な音楽です。
第3楽章、フィナーレ、プレスト。力あふれる躍動的な音楽と軽やかで優雅な旋律が次々に交替し、強弱の対比を見せながらフィナーレを盛り上げていきます。フルートとファゴットのような音色や高低の対比もありますし、実演では演奏効果の高い楽章でしょう。

第1楽章が大きいので、全体としては30分弱の規模を持つ交響曲になっていますが、メヌエットがないためなのか、それとも繰り返しの影響なのか、前半が大きくて後半がやけにあっさりと終わってしまうような、そんな印象を受けてしまう曲です。
ブロムシュテット盤の演奏は、比較的ゆったりしたテンポで、対比を明瞭に描きながら演奏されます。説得力のある、いい演奏だと思います。録音も、同時期のブルックナーに隠れがちですが、とても響きがいいと思います。

実は、クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団による演奏についても、このブログの初期に記事にしたことがあります。これも全集分売もので、SONYのFDSS-50124という型番のCDには、演奏時間の表示がありません。参考までに、録音は1980年のミュンヘン、ヘルクレスザールでのデジタル録音、テンポはブロムシュテットよりも速めですが、第1楽章は違い過ぎ。繰り返しはたぶんカットされているのでしょう。でも、こちらも大変いきいきした名演奏だと思います。

■ブロムシュテット盤
I=13'46" II=9'05" III=6'00" total=28'51"
■クーベリック盤
I=10'56" II=8'53" III=5'53" total=25'32"
※クーベリック盤はCDトラック表示データ。実演奏時間はこれより数秒短い。
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ブログと広告

2006年11月14日 20時27分51秒 | コンピュータ
11月14日から、gooブログの各ページ下部に広告が入れられるようになったそうです。どこかの広告を掲載し、その広告がクリックされると広告料が入るとかで、広告を入れるか入れないか選択することができるようになりました。

以前、記事内容に応じて広告を表示するしかけについて考察した(*)ことがありましたが、今回使われている技術も、記事の中で使われている単語の頻度を分析し、もっとも多い単語に関連する広告を自動的に添付するしかけでしょう。たとえばこの記事で頻度が最大の単語は「広告」です。すると、たぶん広告に関係する広告(^_^;)が入るのだと思います。

一時流行ったアフィリエイトのように、この業界では生産者はもうからず、流通業者はそこそこもうけ、資金を貸しつける方が大きくもうけるのが常だと思います。さしずめブロガーは生産者でしょうから、もうかることは考えにくいでしょう。だとしたら、過度にのめりこまず、適度なアクセス数で、ふつうの日常生活を維持できる程度のコメントやトラックバックをいただき、「うふふ」と楽しんでいる程度がよろしかろうと考えます。

というわけで、私、しばらくは広告を表示いたしません。このビジネスモデルの経過について、模様眺めをきめこむことといたします。

(*):すみません~gooブログ版RSSリーダーについて
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プリンタで出力するか写真屋さんに依頼するか

2006年11月13日 19時42分37秒 | コンピュータ
先に甥の結婚式に出席した際に撮影した写真、デジタルカメラでしたので、パソコンに移してCD-Rに焼いて、両親と当人たちに送付しました。また自分たちの分も焼いて残しました。
ところが、老父母にとっては外孫ですので、一度パソコンでは見たものの、やはり「写真」にしてほしいとのこと。80枚以上ありますので、これを全部プリンタ出力をする手間と労力と経費を考えると、写真屋さんに依頼したほうが良さそうだ、という結論に達しました。
で、夕方なじみの写真屋さんにCD-Rを持ち込み、プリントを依頼すると、翌日にはもう出来上がり。おおよそ70枚ぐらいありましたが、支払いは2000円を切りました。単価は30円もかかっていません。インク代もけっこうばかになりませんし、ういた時間を自由に使えます。これなら、自分でするよりずっと良さそうですね。
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エレーヌ・グリモーのピアノでバルトーク「ピアノ協奏曲第3番」を聞く

2006年11月12日 12時01分31秒 | -協奏曲
金曜日の宴席では、少々飲みすぎました。昨日の土曜日は体調が悪く、床の中で本を読みながら回復を待ちました。今朝はお天気もまずまず、起きだして先週の日曜日に録画したN響アワー、エレーヌ・グリモーのピアノでバルトークのピアノ協奏曲第3番を聞きました。

第1楽章、出だしがたいへん印象的なアレグレット。音楽院でジャック・ルヴィエを追っかけていたエレーヌ・グリモーは、もうかつての少女ではないのですね。前妻と離婚したバルトークや、彼と結婚したピアノの教え子ディッタ夫人の立場も感情も充分にわかる年齢でしょう。
第2楽章、アダージョ・レリジオーソ。静謐な祈りの音楽。アシュケナージを見つめながらじっと出番を待つグリモーの表情を映し出します。このあたりは、ビデオの強みですね。
第3楽章、アレグロ・ヴィヴァーチェ。一転してバルトークらしい民俗的な要素を持った、明快で力強い音楽です。病床のバルトークが、こういう音楽を書いていたことが信じられないくらいです。

この曲は、すでに白血病の末期にあった1945年の春に作曲が始まり、ピアニストでもあるディッタ夫人の誕生日のプレゼントとして計画されていたといいます。オーケストレーションにあたっていた夏ごろには急速に健康が悪化し、最後の17小節は未完に終わったため、弟子のティボール・シェルイが補筆し完成したとのこと。初演はバルトークのピアノの弟子であったジェルジ・シャーンドル(Pf)と、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団によって、1946年2月に行われたとあります。

ところで、この曲を贈られるはずだった夫人は、1960年代になるまでこの曲を演奏しなかったそうですが、それはそうだろうなぁと思います。可能性としては、二つあります。一つは憎しみによる演奏の拒絶。もう一つは、愛する夫が病の中で苦闘していた遺作、しかもこうした祈りのような音楽の中に、大切な思い出や愛情がつまっているとなれば、公衆の前で演奏を披露する気持ちにはなれなかったのでしょう。年齢のはなれた夫婦の愛憎は余人にはうかがい知ることは困難ですが、たぶん後者だったのではないかと思います。その意味では、演奏家というのもある意味で因果な商売なのかもしれません。
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なくした本の記憶

2006年11月11日 18時22分27秒 | 読書
本をなくすことはめったにないのですが、実際になくした本は格別に口惜しく、内容もすばらしかったのかもしれない、などと思ってしまいます。
高校生か大学生の頃に読んだ梅棹忠夫『知的生産の技術』に、若きレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯を描いた、メレジュコーフスキーの『神々の復活』という名前の本のことが書かれておりました。「発見の手帳」という章だったかと思いますが、レオナルド・ダ・ヴィンチが常に手帳を持ち歩き、たいへんなメモ魔だったというエピソードとともにずっと興味を持っておりました。
独身時代に、山仲間の相棒と一緒に奥多摩に行ったとき、駅前の古書店で旺文社文庫の同書を見つけました。驚喜して購入し、テントに戻って読もうとしましたが、何かの用事で二人ともテントを離れたところ、見事に盗まれてしまいました。食料や荷物はそのまま残っていましたので、山で読む本を忘れてきた手癖の悪い山男かハイカーが雑誌でもあさりに回り、ちょうどいいと持って行ったのでしょう。以後、この本を見かけたことがありません。俗に逃がした魚は大きいといいますが、まさにそのとおりで、今もって残念無念な記憶です。
同書は、メレシコーフスキー著(米川正夫訳)『レオナルド・ダ・ヴィンチ』という書名の上下二巻で河出書房新社からも出た(1987)ようですが、当時はその存在を知らず、現在は品切れで重版未定とのこと。図書館で読むことができるかどうか、探しているところです。
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コーヒーの味

2006年11月10日 06時58分28秒 | 散歩外出ドライブ
朝、目ざめにいれて飲むコーヒーはたいへん美味しいものです。では私自身、コーヒーの味の微妙なところはわかるかというと、これは全く自信がありません。ですが、あちこちのドリンクバーで提供される「おかわり自由」のコーヒーは、なぜかおいしくない。どうも、苦いだけでコーヒーらしい味がないと感じてしまい、苦手です。

自宅でいれるコーヒーは、おいしい。たんに豆の日付の新鮮なものを適当に買ってきてコーヒーメーカー(Melita)でいれるだけなのですが。それから、専門店(喫茶店)のコーヒーも、たいへんおいしく感じます。やはり、大量生産で常時加熱保温されているような条件では、コーヒー本来の味や香りは期待できない、ということなのでしょうか。

出先の某書店で平岩弓枝『平安妖異伝』を見つけ、購入。それから、先日、福沢一郎著『知られざる藤沢周平の真実』を読了しました。これも興味深い内容でした。
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ベートーヴェン「ピアノソナタ第31番変イ長調Op.110」を聴く

2006年11月09日 06時00分22秒 | -独奏曲
ベートーヴェンの後期のピアノソナタの中で、若い頃に一番好きでよく聴いたのがこの曲だろうと思います。当時はむろんLPレコードで、日本コロムビアのダイヤモンド1000シリーズに含まれた、アルフレート・ブレンデルの演奏でした。まだ若いブレンデルが初めて全集に挑戦したこの録音、ヴォックス原盤によるものだそうですが、曲間の無音溝の時間の長さを曲に合わせて変更するようにブレンデルが主張し、エンジニアを困らせたのだとか。奇矯な人だなと思いましたが、演奏はどれも説得力があり、特にこの31番のソナタに魅了されました。

1821年に作曲され、結局誰にも献呈されなかった、自分のための音楽。ここしばらくは、アルフレッド・ブレンデルの演奏で、Philipsの 412 789-2 というCDで聴いています。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番に併録されたもので、1973年の10月にロンドンで録音されたものです。

第1楽章、モデラート・カンタービレ・モルト・エスプレッシーヴォ。親密で優しい主題です。歌うように何度も何度も現れます。
第2楽章、アレグロ・モルト。軽やかで速い楽想が駆け回る導入、そしてアダージョ・マ・ノン・トロッポのゆっくりした呟きに似て、やがて「嘆きの歌」がつむぎだされてきます。続いてアレグロ・マ・ノン・トロッポでフーガが続きます。論理的なフーガが、再び繰り返される嘆きの歌を鎮めていきます。終結部では速度を増し、分散和音を連続して、これでもか、これでもかと力強く終わります。

うーむ。この曲を聞くと、何事も裏目に出てうまくいかなかった若い頃を思い出してしまいます。中年以降は仕事も順調でしたし、幸いに病気もせず、うちひしがれてこの曲に慰めを見出すようなつらいこともなく過ごしてきました。幸せなことです。できれば嘆きの歌をたびたび聴いて心臓に血の涙を流すような事態は、今後とも避けたいところです。

■アルフレッド・ブレンデル (Philips,1973)
I=6'50" II-a=1'44" II-b=10'38" total=19'12"
■アルフレッド・ブレンデル (Vox,1960年代)
total=18'02"

写真は高校生でしょうか、文翔館・議場ホール前の広場でフルートとクラリネットの練習。吹奏楽のメンバーのようです。大きな樹木の下で、短い秋の日を惜しんでおります。
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見つけちゃったよ、初代サニー1000(たぶん)!

2006年11月08日 06時19分27秒 | 散歩外出ドライブ
先日、国際交流センターに出かけた際に、おそらく初代サニー1000と思われる黄色の車を見つけてしまい、感激しました。一応ナンバーは細工して見えないようにしましたが、きれいにレストアされていまだに現役のようです。塗装もつるつる。周囲の「高年式車」がなんとなく没個性的に見えてしまいます。ルーミーな室内、A-10型エンジンの回転音、フェンダーミラーも新鮮です。う~ん、初代サニーって、こんなに斬新だったんだ!今見ても充分に通用するシンプルで飽きの来ないデザイン性に、ただ感動です。ついでに、リア・ビューも。

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おお、ペンギンが!

2006年11月07日 20時16分56秒 | Weblog
以前取り上げた(*)南極のライブカメラ、今晩ためしにのぞいてみたら、おお、ペンギンが!

南極のライブカメラでペンギン。今日は見えるかな?

北半球の日本は、今、秋から冬に向かうところですが、南半球の南極では、春から夏に向かっているところ。したがって、産卵を終えて雛もだいぶ大きくなったころなのでしょうか。南極マーチン基地のライブカメラは、基地周辺の景色を15分おきに送信しているようです。今この時間帯が現地時間で08:45と表示されており、夜と昼も逆転している様子。すると、こちらが夜のほうが、ペンギンの日中の活動は見やすいということでしょうか。

(*):南極のライブカメラでペンギンとご対面?
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デュマ『モンテクリスト伯』を読む(8)~パリの社交界にて

2006年11月07日 06時49分04秒 | -外国文学
マクシミリヤン・モレルは、実はヴィルフォールの先妻の娘ヴァランティーヌと相愛の中です。しかし、父ヴィルフォールはそれを知らず、暗殺された王党派の子息であるフランツ・デピネー男爵と娘を結婚させようとしており、現ヴィルフォール夫人はアホ息子のエドゥワールを盲目的に溺愛し、ヴァランティーヌの相続財産に嫉妬しています。ヴァランティーヌの味方は、かつての帝政派の巨魁で今は不随の身となり、目だけで意志を伝えることができるノワルティエ老人だけになっています。

パリの社交界で話題をさらったモンテ・クリスト伯は、ヴィルフォール夫人に適量を用いれば薬となるが、用量を誤れば恐ろしい毒となる気付け薬の調合を教えると約束します。検事総長の妻が毒殺犯人となることを見越しての種まきでした。このあたりは、いくら復讐のためとはいえ家族まで巻き添えにするわけですので、やりすぎですね。見事に釣られて実行してしまった夫人も、おろかというか、悪女というか。

パリのオペラ座の場面では、ダングラール男爵夫人と政府の情報担当リュシアン・ドブレー氏との関係を見抜きます。さらに、桟敷からモルセール伯爵の顔を見たエデの驚きと怒りは、モルセール伯爵ことフェルナン・モンデゴこそが、ギリシャ総督アリ・テブランに対する卑劣な裏切りと殺害の張本人であることを示しています。まさに、フェルナンに対する告発と息子アルベールの葛藤を予告するものでした。

また、いかにも怪しげなカヴァルカンティ少佐とその偽息子アンドレアは、互いに金のためにその役割を演じることを確かめ合います。

いやはや、にわか成金や偽貴族の横行するパリの社交界の空疎で無内容なことに辟易しますが、これはおそらくデュマ自身の感想でもあるのでしょう。このへんは、しばらく辛抱して読み進める必要のあるところです。いずれも、驚くべき復讐の伏線になっているのですから。
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街の専門店で靴を購入する

2006年11月06日 06時37分36秒 | Weblog
量販店の良さというのもたしかにあります。よく承知している電気製品などは、自分で比較検討して、選んで購入することが多いので、各種メーカーの製品が並んでいる量販店が便利だと感じます。
でも、衣類や靴などは、自分であれこれ迷うよりも、信頼できる店員さんに候補を選んでもらい、その中から最終的に選択するほうが、ずっと能率的です。昨日は、地元の靴専門店で、靴を購入しました。おなじみの店長さんに伝えたのは次の三点。
(1)もっぱらふだんの外出用
(2)茶系統
(3)サイズ
この希望だけで、店長さんがセンスの良い靴をいくつか選んでくれました。その中から実際にはいてみて、シープスキンの軽い靴を購入。13,800円也。量販店と比べて著しく高いというわけでもありません。この間、わずかな時間です。まだなじみがきていませんが、靴の履き心地もまずまず快適です。

昨日は、ぶらぶら街を散歩しながらCDを聞きました。アルフレッド・ブレンデルのピアノ、ジェイムズ・レヴァイン指揮シカゴ交響楽団によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番と、作品110のピアノソナタ(第31番)です。外出時には、しばらくこの曲を聞くことになりそうです。
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今日のN響アワーは、先に聞き逃したエレーヌ・グリモーのバルトーク!

2006年11月05日 18時50分05秒 | -協奏曲
毎週楽しみな日曜夜のN響アワー、今晩は10月の大雨の日に電車が遅れに遅れ、とうとう聞き逃してしまったあの日の演奏会(*)のようです。エレーヌ・グリモーのピアノで、アシュケナージ指揮のバルトークのピアノ協奏曲第3番!これは聞き逃すわけにはいきませんね。
当日は、ダフニスとクロエの第1組曲と第2組曲を演奏しましたが、今回は第2組曲だけの放送のようで、その点はやむを得ません。そのかわり、N響のアメリカ楽旅から、ロサンゼルスのウォルト・ディズニーホールで録画された、エルガー作曲の変奏曲“なぞ”作品36から“ニムロッド”が放送されるようです。これも、楽しみです。

(*):大雨で電車が遅れN響定期は「ダフニスとクロエ」だけ

今日は晴天に恵まれ、良い一日でした。コーヒーを飲みながら、ロベルト・シュトルツさんのワルツ集と、珍しくケニー・ドリュー・トリオのジャズ演奏を聞きました。
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モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノーム」を聞く

2006年11月04日 12時25分49秒 | -協奏曲
モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノーム」K.271について、先に「目覚めの音楽にモーツァルトは適さない?」とする記事を書きました(*)が、以後しばらく通勤の音楽として毎日聞いておりました。これなら、たいへんに快適です。演奏は田部京子(Pf)さんとヘスス・ロペス=コボス指揮ローザンヌ室内管弦楽団で、1995年6月、スイスでデジタル録音されたCD(DENON COCO-70537)です。

第1楽章、アレグロ、変ホ長調。静けさの中から、オーケストラが「皆のもの!威儀を正せ」とばかりに開始宣言すると、すぐに人懐こくピアノが入り、再びオーケストラがえらそうに鳴るのですが、ピアノは相変わらず人懐こく、「私のほうが人気者なのよ!」とばかりに天衣無縫の活躍を始めます。なお、この録音ではモーツァルト自身のカデンツァが用いられているそうです。
第2楽章、アンダンティーノ。いかにもモーツァルトのハ短調らしい開始です。荘重な雰囲気の中で、ピアノも時には表現力豊かに、また時にはつぶやくように、悲しげなメロディーを歌います。
第3楽章、ロンド:プレスト、変ホ長調。雰囲気はがらりと変わり、ピアノの名技性を誇示するように、沸き立つような快速演奏になります。オーケストラも、時に競い合うような激しさを見せます。中間部のメヌエットは、弦のピチカートに乗せてピアノがゆるやかに散歩。ただし、ためいきが出るような見事な足取りです。そして、再びオケと独奏ピアノの協奏曲らしい快速演奏の再現。献呈者となった当時の名ピアニスト、ジュノーム嬢の腕前と音楽性は、相当なものだったのでしょう。

先ごろ文化勲章を受けられた吉田秀和さんは、『私の好きな曲』の中でこの曲を取り上げています。しかし、その取り上げ方は普通ではありません。手元の新潮文庫の目次を例に取ると、同じモーツァルトのクラリネット協奏曲が最も少なく12頁で終わっており、大部分の曲がおおむね17~18頁をさいて書かれているのに対し、この「ジュノーム」協奏曲だけは、なんと50ページをあてているのです。本文の内容も、学生時代に楽譜を購入し、ひと夏をこの楽譜を読むことに費やした話から初めながら、モーツァルトの革新性について詳細に説明しています。数十年間の蓄積を展開した解説や考察のあとを読むと、一種、厳粛な気持ちになります。

写真は、お堀を越えてのぞむ鶴岡市の大寶館。昭和60年までは市立図書館として使われていました。現在は、高山樗牛や田沢稲舟、相良守峯、丸谷才一、藤沢周平といった鶴岡市にゆかりの文人たちを展示しています。この北側に、藤沢周平ゆかりの記念館を設ける話がまとまったとのことです。これも楽しみです。

(*):目ざめの音楽にモーツァルトは適さない?
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文化の日、鶴岡市の致道博物館等を訪問。

2006年11月03日 22時58分09秒 | 散歩外出ドライブ
晴れの特異日の例にもれず見事に晴れた休日、車で鶴岡市に出かけました。
見事な紅葉を見ながら月山を越えると、鶴岡市です。見慣れた市街地に入り、致道博物館へ。写真は明治初期の洋風建築である旧西田川郡役所(明治14年築)です。ここには、大昔の石器時代や縄文時代の考古学資料のほか、戊辰戦争で温情ある政策を取った西郷隆盛との縁など、鹿児島市との関係を示す資料などが展示されています。
また、庄内藩主の隠居所として使われた御隠殿にも行きました。ここは、大名屋敷の一部だった建物と古い庭園が残っており、旧藩主の鎧や、釣りを趣味とした歴代藩主の愛用の庄内竿や、先代酒井氏の撮影した写真集等が展示されています。庭園を眺める座敷の脇に、小さな茶室がありましたので、ここで抹茶をたてていただきました。映画『蝉しぐれ』で里村左内と牧文四郎が対面した場面を撮影した、まさにその場所だそうです。



静かな茶室で、庭園を眺めながらいただいた抹茶はおいしく、お菓子も甘かった。かつては鳥海山が借景となっていたそうですが、今は都市化の影響で鳥海山も見えなくなってしまったとか。でも書院庭園は心が休まります。

他の収蔵庫に陳列された、見学者も少ない民具の中には、実用的で美しい「ばんどり」や、多くの実用的な大宝寺焼の陶器などが目を引きます。また、田麦俣から移築された多層民家も貴重なものです。

ですが私には、藤沢周平が『義民が駆ける』の中で描いた、藩主酒井公を慕う領民が三方国替えの幕命を撤回させる物語をはじめとする代々の歴史を引き継いだ、先代の酒井忠明さんの平成15年 86歳 での歌会始応制歌、

「今もなほ 殿と呼ばるることありて この城下町に われ老いにけり」

という一首が、いちばん心に残りました。
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