(神々の通り道があるという!)
朝11時から「○や食堂」前に集って潮崎(すーぬぅさち)から波上宮(崎山岩)そして食堂へ、他はある程度、以前歩いているので、途中から抜けてメディア対応に向かった。OCNさんはしっかりFOLLOWしている。いずれきちっとしたドキュメントを若いディレクターが編集してまとめてほしい、という期待を持っている。
久しぶりに若狭、辻界隈の海沿いを歩くと春の風が吹いていて波上ビーチでは米兵たちが日向ぼっこをしている。中には泳いでいる面々もいる。若狭海岸の公園は明るい。日差が明るい。その少し盛り上がった場所に屋外劇場といっしょに「沖縄芝居先達者顕彰碑」が建立されたらいいなーと何となく思った。今の候補地の薄暗い崖の下の空間ではなく、光を浴びる場所がいいなーと単純に考えたりしていた。どうなったのだろう?何かを建立する時その場と空間はよくよく吟味した方がいいと思う。多数の意見を聴くと前に進まないので、密室で事が運ばれる傾向があるが、それではね、後で悔いが残るに違いない。
同じ若狭に建立するのなら若狭自治会のみなさんの応援があった方がいいし、若狭自治会・会長の岸本さんやその地域を代表する議員のYさんやMさんのお知恵をお借りした方がいいと考えるのだが、琉球歌劇保存会や期成会の幹部の方々はもっと地元との交流を持ってほしいと思う。心から先達者を称えたいと思うお気持ちは、きっと地元のみなさんに伝わると信じている。会長の国場幸之助さん、事務局長の島袋光廣さん、功を急いて事を前に推し進める前に再考をお願いしたい!理事の方々を招集してもう一度、場所の選定を考え直すのは、もう遅いのだろうか?会長の心粋で、明るい太陽の下へ記念碑を建立する方向性を推進してほしい!と、まったくこのエッセイは思いもよらない方向にきてしまった。
(眩暈を覚える空間!)
若狭の海岸は草色がはじけていた。春の光を浴びて心が踊った。ところがそこに、行政のいいかげんさがあった。若狭の「すーぬぅさち」はいつでも神女たちがやってきて祈願する神聖なる場所であるはずなのに、その隣に公衆トイレが建立されているのである。おそらく風水にも歴史や文化、信仰にも疎い行政の感覚で、ただそこに造ってしまったような気がした。
政治家や行政に携わる方々の歴史認識や文化的感性の鈍さが沖縄を変質させているのだと、ただ唖然とした。伝統文化を抹消していく合理性がそこに如実に表れていた。
それは歴史的経緯の中で、三間四方の劇場(仮設舞台)が「四間四方」へと変質している『国立劇場おきなわ』の現在とも重なるのである。それを是認した芸能の専門家の認識が私にはよく理解できない。それを認めた監督庁(文化庁)のいいかげんな対応にも見える。また沖縄の文化を率先してきた(している)首脳のいいかげんさにも見える。しかし、私の現在の考えは、偏りがあったり間違っているのかもしれない。それが論議される可能性を求めて来る3月11日(あの恐ろしい津波にのみ込まれる東北の街の姿が今も消えず脳裏に残る3月11日)に、沖縄県立博物館・美術館で午後2-6時頃まで「劇場と社会」のテーマでシンポジウムを予定している。入場は無料。関心ある方々の参加をお願いします。
すでに狩俣恵一先生は玉城朝薫時代の舞台についてそれが三間四方だったのか、疑問を投げておられる。私自身のコンセプトの訂正も要求されそうな様相である。お能研究者で能楽学会代表の天野文雄先生は「能が演じられてきた場所」について映像も準備されて基調講演をされる予定。
朝11時から「○や食堂」前に集って潮崎(すーぬぅさち)から波上宮(崎山岩)そして食堂へ、他はある程度、以前歩いているので、途中から抜けてメディア対応に向かった。OCNさんはしっかりFOLLOWしている。いずれきちっとしたドキュメントを若いディレクターが編集してまとめてほしい、という期待を持っている。
久しぶりに若狭、辻界隈の海沿いを歩くと春の風が吹いていて波上ビーチでは米兵たちが日向ぼっこをしている。中には泳いでいる面々もいる。若狭海岸の公園は明るい。日差が明るい。その少し盛り上がった場所に屋外劇場といっしょに「沖縄芝居先達者顕彰碑」が建立されたらいいなーと何となく思った。今の候補地の薄暗い崖の下の空間ではなく、光を浴びる場所がいいなーと単純に考えたりしていた。どうなったのだろう?何かを建立する時その場と空間はよくよく吟味した方がいいと思う。多数の意見を聴くと前に進まないので、密室で事が運ばれる傾向があるが、それではね、後で悔いが残るに違いない。
同じ若狭に建立するのなら若狭自治会のみなさんの応援があった方がいいし、若狭自治会・会長の岸本さんやその地域を代表する議員のYさんやMさんのお知恵をお借りした方がいいと考えるのだが、琉球歌劇保存会や期成会の幹部の方々はもっと地元との交流を持ってほしいと思う。心から先達者を称えたいと思うお気持ちは、きっと地元のみなさんに伝わると信じている。会長の国場幸之助さん、事務局長の島袋光廣さん、功を急いて事を前に推し進める前に再考をお願いしたい!理事の方々を招集してもう一度、場所の選定を考え直すのは、もう遅いのだろうか?会長の心粋で、明るい太陽の下へ記念碑を建立する方向性を推進してほしい!と、まったくこのエッセイは思いもよらない方向にきてしまった。
(眩暈を覚える空間!)
若狭の海岸は草色がはじけていた。春の光を浴びて心が踊った。ところがそこに、行政のいいかげんさがあった。若狭の「すーぬぅさち」はいつでも神女たちがやってきて祈願する神聖なる場所であるはずなのに、その隣に公衆トイレが建立されているのである。おそらく風水にも歴史や文化、信仰にも疎い行政の感覚で、ただそこに造ってしまったような気がした。
政治家や行政に携わる方々の歴史認識や文化的感性の鈍さが沖縄を変質させているのだと、ただ唖然とした。伝統文化を抹消していく合理性がそこに如実に表れていた。
それは歴史的経緯の中で、三間四方の劇場(仮設舞台)が「四間四方」へと変質している『国立劇場おきなわ』の現在とも重なるのである。それを是認した芸能の専門家の認識が私にはよく理解できない。それを認めた監督庁(文化庁)のいいかげんな対応にも見える。また沖縄の文化を率先してきた(している)首脳のいいかげんさにも見える。しかし、私の現在の考えは、偏りがあったり間違っているのかもしれない。それが論議される可能性を求めて来る3月11日(あの恐ろしい津波にのみ込まれる東北の街の姿が今も消えず脳裏に残る3月11日)に、沖縄県立博物館・美術館で午後2-6時頃まで「劇場と社会」のテーマでシンポジウムを予定している。入場は無料。関心ある方々の参加をお願いします。
すでに狩俣恵一先生は玉城朝薫時代の舞台についてそれが三間四方だったのか、疑問を投げておられる。私自身のコンセプトの訂正も要求されそうな様相である。お能研究者で能楽学会代表の天野文雄先生は「能が演じられてきた場所」について映像も準備されて基調講演をされる予定。