メールで案内された研究の報告会には参加できなかったけど慰労会にはなんとか参加した。そのまえに沖縄芝居女優で最近はNHKの朝ドラにも登場している吉田妙子さんと2時間ほど夕食&ユンタク会を持った。まえからの約束の時間は穏やかでじっくり話せたのがよかった。
最近、沖縄の伝統芸能をになう方々の法人化が相次いでいる。時代の要請でもあるのだろう。伝統芸能を継承し発展させる方策の一つである。関係者の意思(志)がいい方向へ展開していくことを念じる。伝統芸の闊達な復興への組織化(法人化)は、また昨今のウチナーグチ復興への高揚とも関係しているのだろうか。沖縄のにわかなナショナリズムの潮流ともからんでくるのかどうか、それが時局的には非常に厳しい、戦場下のようなシュールな日常に半比例する、それらをアウフヘーベンする文化運動のようなものでもあるのかどうか、見守りたい。
沖縄語(琉球諸語)復興運動(沖縄アイデンティティの復興と重なるのか)の中軸を担える伝統芸能なのか?自らの社会のあり様を、未来を自ら決定する自由を求める流れにあるのか?日本政府によって意思(志)が無視される政治的枠組みを変え得る文化運動になりえるのか?琉球弧・沖縄の歴史・文化に根ざした活動なのか?などなどいろいろな問が浮かんでくる。すべて良き兆候だと思いたい。しかし、ある種の危懼が起こるのはなぜだろう?明日のシンポジウムに参加するつもりだ。
ところで吉田妙子さんと和やかな時を過ごしてから西原に向かった。仲程先生を囲んでのユンタクは楽しかった。最後の4人になった時のトークが面白かった。普段疑問に思っている事柄を第三者の目で誰彼の優れた研究者の方々についての批評(眼差し)をお聞きすると、ああなるほど思える視点が飛び出てきて、興趣が起こった。Mさんはいったい何が伝えたいのか、よくわからない。ことばが伝わらないやBさんはいわば天皇で、はっきり答えを出さない。分析だけじゃないの?実証主義の歴史研究とか、ロマンのある歴史研究、あらゆることばの表現は文学だというのが中国の考えとか、それがすべてテキストになった、またジェンダー論の多様な意見などの混在や、琉球大のジェンダー論の終着駅はどこかな、などなど、また組踊のシンポジウムに関して、おかしい、とか、新城郁夫さんは中央から注目されているとか、いわば政治的文学解釈が一目置かれていたり、絶えずずらしていく方法論などなど、いったい誰を読者にしているのか、なども含め、「文学は難しい」と結論付ける。
身近な知識人たちの現在の思想なり研究の中身にコミットする生き方(姿勢)やその思念の明示としての論は、なるほどに思えた。AとBの対立構図など、知的バトルはいいと思うが、つまりヨーロッパ⇔アメリカの構図が、日本文学⇔欧米文学の構図として登場することなど、なるほどに思えた。世界をどう取り組むかはどの立ち位置にあっても問われているのだが、相対的歴史観というより実証的にこうだったと見せ付けられると、なるほどとも思える関係性がある。
一次資料をこれでもかと提示する手法、そこから見えてくるものーー、類推、帰納法が演繹法に勝るようにも見える。実証主義である。推論なり仮説を実証するわけでもあるが、帰納法的に提示して総論を導く歴史家の方法が、文芸研究でもパフォーマンス研究でも問われるのだろうか?作品があり、解釈の新たな手法(視点)で切り取ることは、演繹的である。それでも作品の丹念な読み込みと分析があって成り立つ時、帰納法も演繹法も両立している。
居酒屋談義は面白い。たまにはいいね。ただうるさい中で酒と夜食で満たされるのも悪くはない。時にハットさせられる言葉がやってくる。Tさんが沖縄の右翼と呼ぶとき、沖縄ナショナリストのことであったりする。地域コミュニティーが変容していくのも必然、誰それの話など、噂話も含めーー興味深い。ただ、ウーロンティーで話が弾むのもいい。