玉木伸さんが登場です!
どうも戦前の沖縄は上層部はほんどが薩摩系を中心としたヤマト人で、経済も薩摩系列や関西系列、琉球王府系列に住み分けがあったようで、また伊波普猷ですら県立図書館の嘱託だったのだが、現在の沖縄の知的システムにおいても、ほとんどが沖縄出身ではなく他府県人で沖縄に移住してきた方々、が旨みのある椅子に居座るようになると、アラブ諸国のような反動が起こるだろうか?
日本復帰後の沖縄は特に日本的システムの中に包含されているので、チャンプルー化は激しい。物凄い競争時代だが、知的競争の中でまた新たな真実が見えてくるというのはいいね。興味深い!踊るのはウチナーンチュで、操るのは誰か?お前は誰で誰がお前の背後に居座っているのか?なんてね!大学でもウチナーンチュではなくヤマトンチュが支配し、非常勤などはウチナーンチュ、中には移住組のような仕掛けかな?学生が集まらないのは地元との連携がうまくいかないからかな?つまりウチナーンチュの理想としてのキャリアの大学のモデルが見えないならば、そこに学生たちはこないね。ロマンティックな沖縄のヒーロー&ヒロインを登場させなければです。どこでもーー。
最も、全国から、世界から沖縄に若者が学びの場としてやってくる仕組み・仕掛けを作る必要もあるね。それはどれほどの果実をもっているかにもよるのだろうがー、グローバルセンスとローカルなセンスのそれぞれのよさを融合させたプログラムがないと若者は来ないね!麗しい優秀なヤマトの出身の教員より土着の島の色艶のある知性のモデルがいたほうがいいね。わたしが学長ならば、沖縄イキガ・イナグの果てしない魅力を持った人材を登用し、例えば文学だったら目取真俊や崎山タミさんに講座をもってもらうとか、ウチナーグチ講座などは直に沖縄芝居役者に来てもらうとか、学生たちの生の声をもっと引き出すプログラムを作ってみたいなー。TWITTERの集いであるテーマで若者集会を開いて論じ合うとか、ジェンダーに関しても大胆にすべての男性の観念で作り上げてきたものを総ざらい検証していくプロジェクトとか、また実力のない専任教員は非常勤教員と三年間交代させるとか、縦の構図を脱構築して誰もが主人公の組織を作れるか、やってみたい。(幻想でした)
「沖縄の中でウチナーンチュが最貧困層に位置している」とは知人のことばである。同じく彼は左翼は普遍を目指し、伝統の根っこや幹や土着の文化を無視すると繰り返し言っている。どうなんでしょう。
プリ・モダンの共同体が崩壊していくとますます都市の論理が隅々まで裂け目を作っていくことになるが、今の所やはり「注入されるお金によるにわかな復興景気」がありそれを仕組んでいるのもまた聡明な方々だが、利潤がターゲットにあるのは確からしい。つまり食べて行ける仕組みを作ろうとするのはいいと思う。芸能で食べていける仕組みである。居酒屋やスナックや民謡バーという生活の基盤にさらに一つ法人化で生活の糧を得る方法論(法的手段)である。いい船出であることを念じる!(花になる役者の存在と脚本の掘り返しや創作など、また身近なアジアとの交流などもめざした舞台化ができるか?大胆なセンスが試されるね!収奪されることなく自らが主体として世界に挑む体制、はどんなものだろう!)
居酒屋でヤマトんチュの沖縄ムークが言い切った。なぜ反オスプレイで反基地ではないのですかね?反基地は心にもっているんだよね、と言いたかったが、日本をある面で沖縄の根っこは信じていないのだと、なんとなく思った。つまり日本よりアメリカを信じているところがあるかもしれないのだよね。アメリカ的鷹揚さは日本的縦構造社会のいびつさ、慇懃さ、踏みつけの差別意識より、まだいいと感じているところが個人感覚の中にあるかもしれないのだろうか?制度としてもミリタリズムとは別な感覚がそこにある。27年間の異民族支配は多様な芽をもたらしているのである。日本の知識人が及ばない沖縄的知性があるのだと言えよう、なんてね。これは仲程先生が、実証ということばで研究は証明するものがないと、という枠組みの話ではないけれどー。非公式の本音の話かな?