帰巣本能のようなものなのだろうか、幸せには見えない彼女の人生のステージ、心やすかれと念じる。能力を他者のために地域に還元するこころのありか、の前に彼女は自分自身のアメリカ≪西洋≫との闘いにつかれている魂を抱えて沖縄に戻ってきたのかもしれない。
夫婦という中の虚像の巣でもそこよりほかに帰るすべもなく、空洞を抱いて素敵に見える彼と彼女のデュエットはゆがんで揺れている。歪んでもそこにしがみついて生きている妻の姿があり、シングルマダーで3人の子供を抱えて切磋琢磨生きている女の姿もある。
それぞれの人生ドラマの真実の美しさと無残さ、もっとも自分の心に正直に生き、死んでいく人が最も幸いなのだろうか?人生の帳の中のステージ、孤独を道連れに男も女もそれぞれの愛の姿に揺れている。今日Aさんが愛らしい少年に見えた朝、美しいと感じるモメントに人はまた救われる。清涼飲料水のようなさわやかさに、勇気を得たりする。謝謝!
美しい表情に美しい自然の素顔に癒される。今日もコオロギが鳴いている。しかし今日も、米軍機はキャンパスめがけて飛んできて去った。何度も周遊して平然と居座っている。
彼女の狂気と正気の隙間風、そこから聞こえてくるもの、生涯の隙間風をことばに記したらいい。観念の塊でかつ人間になりつつある動物、奇怪な生き物としての私たち?
19歳のころ人生をすべて知ったかのように、もう死んでもいいやと、おもったこともあった。あのころから遠くまでやってきた。人生なんてわからないものだということがわかる。
ただ目の前の「しなければならない」課題に追われている。滴のようなことばや魂と触れ合うモメントを求めながらー。