(琉球新報2016年2月24日)
琉球舞踊伝承者研修は型の違いを浮き彫りにしている!
型の違いの多様さは何を示しているのか?
家元が多くなった沖縄と関連しているのだろうか?
家元制とは?琉球舞踊の型とは何か?舞踊研究者、県の芸能担当部局の姿勢は?
この写真は同じ「浜千鳥」で三者がことなる型を踊っている実際の姿である!1950年代から60代にかけての型の統一から現在では脱構築、再構築の時代に入っているのだろうが、こんなにも手の違いがあるということに、驚く。元々は同じ手ではなかったのかと、言えない状況があるのだろうか?
玉城盛重や渡嘉敷守良、新垣松含の頃はどうだったのか?その後の真境名由康、親泊興照、宮城能造、島袋光裕、仲井間盛良は?
近代、沖縄芝居小屋時代の古典踊り、雑踊がどうだったのか?もっと検証されるべきだろう。まったく現在の型と異なっている所もあるね。ガマクもすり足もどうだったのだろう?ガマク?近代の産物だが、いつだれがそれを取り入れたのか?ガマク入れのない踊もあるね。それが王府時代の踊の型だったのかもしれない。『花風』はターニングポイントなんだね。
芝居手をもっと吟味すべきだろう。『浜千鳥』は好んで踊られている。それは「ジュリ」の踊だと考えている。紺地の絣の着物姿は昔の芸妓(ジュリ)たちの典型的な衣装である。千鳥鳴く浜があった仲島、渡地、辻だったのだね。浜千鳥の琉歌をもっと吟味しなければ、発端が見えてこないね。ジュリが踊った踊なんだ。芝居小屋と遊廓で数多く踊られてきた雑踊だということをしっかり踏まえないと、琉球舞踊は虚構の美になってしまうのかもしれないね。根をルーツをしっかり見据えなければだね。
ハワイ4世が自分のルーツを手繰り寄せるパッションを見ると、芸能もルーツの歴史をもっと見据えるべきなのだと言えそうだ。
宮城能造さんが女形芸についてお話していることは、論文でしっかり書きたいが、やはり辻の美らジュリが大きなニュアンスで迫ってくるね。琉球の女形のモデルは美らジュリだね!それを認識しない沖縄の芸能は嘘の塊になるのかもしれないなどと思ってしまう。真実とは何か?真実のありかを手繰り寄せるのが研究者の使命だといえるが、世相、メディアも含めてフィクショナルな「つくられた概念」を信じる傾向もあるようだ。なぜ?きれいに見せたい思いは痛いほどわかるが、きれいはきたない、きたないはきれい。Fair is foul, foul is fairの水が流れている。