佐伯順子『女装と男装」の文化史を読んで朝が過ぎた。以前購入したが今頃気になった!この佐伯さんの女装・男装とジュリがどう結び付くか、直接的に結びつかないのかもしれないが彼女の事例の中には「道成寺」があったりする。お能の中でも異性装があり、古事記のヤマトタケルノミ...
数年前買い求めた『遊女の文化史』はとても示唆的だった。彼女の修士論文の書籍だが、佐伯論に反対する御仁もいて、売買春について、巫女説をあえて覆す書も登場した。思うに阿弥陀菩薩のような女性の存在があるといえるのではないだろうか?巫女のような聖性が性にまとわり付いているといえようか。醜業婦と決め付けることができないのはなぜだろう?性=聖=生きる力=生きる糧でもある人類史がある。