秋山勝さんの修論「植民地体験と沖縄近代」が脳裏に浮かんだ。琉球・沖縄の体験がアジア諸国の体験に繋がることが意識できた。汎アジア性がある。西里先生の文献資料を網羅したお話はとても興味深かった。寄留商人たちと県庁役人たち、琉球・沖縄の政治・経済・教育などほとんとがウチナーンチュではなくヤマトンチュに牛耳られ、土人と差別され収奪されていたことが浮かびあがる。
日本による差別構造が近代の冒頭からまた過酷に迫ってきたのである。寄留民たちが殿様気分で沖縄に君臨したのらしい近代初期、そしてソテツ地獄を経て日本人になるために頑張った琉球の民、貧困の中で県外・海外に移住していった人たちも多い。内部の沖縄も変容を遂げていた。上に君臨する薩摩や中央から送られてくる知事たち、その知事たちが引き連れてきた者たちが経済利権を吸い取った。旧慣温存政策の中で特権を得た旧士族層、日ー清戦争後の沖縄の変容がある。曖昧期から日本への同化を選択していく民衆の意向(強いものについていく)があり、日露戦争の日本の勝利はなおさら沖縄の日本への傾倒が深まっていく。
皇国の民となるために同化の進化が図られる。そして無残に沖縄戦で多くの民衆は殺された。そして、現在復帰後の内国植民地化は明治時代と類似する傾向をかもしている。構造は変わらないのね。現在知事はウチナーンチュだけれども、経済は誰が牛耳っているのか?戦後は米軍の君臨が続いているので、もっと複雑かもしれないね。吟味したい。近代は大きなカギ★
(主催の浦添美術館館長の宮里正子さん☆)女性の館長は素敵ですね☆
≪西里喜行先生のお話もレジメもとても良かったです。謝☆≫