興味深い現象があるのですね。
世界の潮流の一つでしょうか。
ちょっと調べてみたい文化現象。
ある集団の訴えで、書籍さえシュレッダーにかけられ処分された事実が気になっている。
県民大会のロゴやTシャツが直前で処分の出来事があった。キャンセルカルチャーの事例だろうか。
SNS時代ゆえのデジタル化の利便性や拡散とその弊害は諸刃の刃なのかもしれない。一方で監視社会へと突き進んでいる。
確かチョムスキーは表現の自由を推奨していて、ナチス肯定の文献さえ拒絶はしなかった。裏覚えだが賛否両論あって、それぞれの意見を尊重したのだ、と理解している。
ある対象を全きに否定することは、独裁になりかねない。
思いおこせば、20世紀の終わりに、沖縄のラディカルフェミニストの女性たちが、辻のジュリ馬祭りを中止に追いこんだのもキャンセルカルチャー運動だったことが分かる。沖縄では著名な方々、国会議員や反戦平和運動のリーダーが中心になって那覇市長やメディアに影響を与えた。
つまり辻はかつて遊廓だった。ジュリ馬は戦前からあった祭祀芸能の一つだが、その祭祀芸能を開催することは、売買春を増長するというのが、批判の中心だった。那覇市のかつての三大祭りの一つ、ジュリ馬への市の助成が止められたのだ。およそ8年間、祭りは中止された。21世紀現在、祭りは続いているが、市の助成は止められたままなのだろうか。都市祭祀としての再興はなされているのだろうか
かつての吉原や京都の花街はどうなのだろう?
そう言えば、名桜大学の『琉球文学大系全35巻』の中の「琉球戯曲集5巻」(真喜志康忠沖縄芝居脚本集)のキャンセルもキャンセルカルチャーに入るでしょうか?