久しぶりに映画を見た!なぜか気になる映画だった。以下は別のブログにUPしたのだが、付け加えたいことがあってここにまた貼り付けて追記することにした。アルジェリアの内戦やGIA武装イスラム集団については他のサイトを紹介したい。アルジェリアの内戦が背景にある。
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そんな余裕などないはずなのに、なぜかこの映画は見たいと思った。映画を研究しているリサさんは去年ニューヨークで見たという。
1996年、実際アルジェリアで起こった武装イスラム集団によるフランス人修道士誘拐事件の史実をドラマ化した映像である。
感銘を受けたのはイスラム圏の村の人々のために一日150人もの病人の手当てをする修道士の医師やそのリーダーのクリスティンが自然の中で神の啓示を求めて彷徨い、村人たちの砦として「逃げない」決意をし、最後の晩餐のような夜「白鳥の湖」の曲が流れ、彼らが虐殺をすでに内で覚悟している姿の在り様!
予兆はそこにあり、
クロアチア人が殺され、学校教師が殺され、そして村人がーー、アルジェリア軍とイスラムテロリストとの対立の構図もあり、そのうえにフランス宗主国の姿が大きくせり出している。そして犠牲の盾になるのが修道士たちである。命が犠牲になること、すでに内面化された生贄への意志の確認のように、彼らはその日に至る。
フランス政府やアルジェリア政府の勧告を無視し、暴力に向き合う、死の後の永遠の命を秘めてーー。
美しく残酷な犠牲!国の盾ーーー、神も信仰も国と国の境界の中にある。それらを超えられるか否か、信仰の美が犠牲が国家の枠内にあることを逆に認識させられる。
異教徒の住む村の修道院の役割!フランスとイスラム教圏の在り様のいったんを映像は示しているのかもしれない。歴史の経緯は長く深く沈黙の闇の中にある。ポスト・コロニアルな構図も見え隠れする。宗教の果たす役割ーー、暴力の支配から逃げず命を投げ出した修道士たちの永遠の命!
宗教とはなんだろうか?テロリズムと国家の関係、フランスの国家としてのテロリズムがまたそこに通底しているのではないのか?
修道士たちのキリストへの愛の深さと無暴力の姿勢の美しさ、しかし彼らもまたシステムの構造の中の犠牲でしかないような悲しさも露呈している。
神の存在への帰依!キリスト教徒ではない私には宗教の持つ色合いもそうだが、植民地アルジェリアとフランス、そしてイスラム原理主義者の怒(希望・絶望)の構図が痛々しく感じられた。
「白鳥の湖」!死を覚悟した者たちの涙が滲む。遁走もまた希望ではないのか?逃げなかった彼らはキリストの犠牲を内面化し果てた。
一神教を信じることができない私がいる。聖書は読んだけれど、キリスト教を信じることはできない。ましてイスラム教もコーランの精神に関心はもっても信じることはできない。
宗教とは何だろうか?信仰が生きる糧であるかぎりその価値は深い!信仰の姿は多様ーー、この森羅万象の中に神的存在をみるアニミズムはマダーアースと共に生きる人間の知恵そのものに感じている。
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映画を見ながら圧倒されていたのは修道士たちの美声、他ならず讃美歌の歌の心地よい響きである。聖書を読むにも、祈りの場でも、かれらは斉唱している。その歌唱がいい!歌うということの秘密がそこにあるような気がしていた。歌う行為に秘められた陶酔感の在りかに聖なるもの、純なもの、魂の昇華のような機能が潜んでいるのだと、なんとなくに思っていた。
歌う行為と身体と精神の一体化したもの、陶酔感によって神的存在と合一していく高まりがそこにあるようなその空間、互いに疑心暗鬼の不安を抱きながらしかし共通認識へと高められていくものがある。おそらくどの民族の人間もどの宗教の人間も歌うという行為の中に生きる不安や苦しみや歓び諸々をカオスの中で包み込む世界をもっているのだ。それは極めて原初的な人間の営みの素の裸形の姿なのだろうか、と思わせた。そしてこの社会において、三線と琉歌の関係性に思い至る。8886の韻律にのせられた思いが奏でられ、歌われている。
古典音曲、そして民謡、琉歌や組踊の詞章に至るまで、共通のリズムが流れている。このリズムは決して大和のリズムではない。琉球・沖縄独特のリズムであり歌唱である。
同じくカトリックの修道士たちが歌う讃美歌はまた独特な高揚感を伴っていた。聖書の朗読もまた独特な歌唱の響きに聞こえてきた。その声によって高められる精神の在りかこそが大事なのだろう。人は一人では生きていけない。彼らもまた互いに互いの信念を拠所にして、群れ(7人)として暴力システムの刃の前に立った。恐れるものはない。イエス・キリストへの愛があった。それゆえにすべてに耐えられた。愛は絶対的なものーーー、彼らの愛とは神への愛であり奉仕である。
御伽としての芸能に通じるものが歌うという行為の修道士の生きざまに重なる。歌う行為は生きることへの御伽でもあるのだろう。歌うことによって命の寿ぎがなされ、鼓舞がなされ、祝福がなされる。歌うことの意義深さがふつふつと浮かび上がってくるようだ。
政教分離を声高く主張するにも限界がありそうなアルジェリア国家の現実なのかもしれない。
以下は他のサイトからの紹介である!殺された修道士についての具体的な紹介も写真もUPされている。
映画『神々と男たち』をもっと深く知るための6項目!
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◆『神々と男たち』に使用されている聖歌
実際の聖歌がどのようにチョイスされているのかはわかりませんが、映画の中では物語のシチュエーションや修道士たちの心情に合うようなチョイスがなされていることがわかります。(聖歌には、「詩篇」をテキストとした「典礼聖歌集」といった聖歌集があり、典礼にはそこから採用されることも多いが、様々な宗教家が作詞した「聖歌」もたくさんあり、そうしたものもごく普通に歌われるそうです。)
ここではできるだけ日本語字幕を尊重して訳を書き出していますが、全く同じになっているかどうかまでは確かめられていません。
各タイトルで検索すれば、オリジナルの歌詞にとどりつくことができます(もちろんフランス語ですが)。
よく知られた聖歌として定番の「日本語訳」があるものもありますが、その「日本語訳」も必ずしも逐語訳的な訳ではないようです。
ちなみに、カトリック教会や聖公会で歌われるものを「聖歌」といい、プロテスタント教会のそれは「賛美歌」(「讃美歌」)と呼ぶそうです。
・“SEIGNEUR, OUVRE MES LÈVRES”(主よ、私の唇を開いてください)
詩篇51:15
冒頭の朝の典礼で朗誦される聖歌。
サントラCD 2曲目に収録。
神よ 私の口を開いて下さい
私はあなたに賛美を捧げます
・“PUISQU’IL EST AVEC NOUS”(我らと共にあるのだから)
クロアチア人殺し事件のあった後のミサで朗誦される。
サントラCD 3曲目に収録。
暴力の時にも主は
私たちと共にあるから
いたる所に主を
夢見るのはやめよう
私たちが死ぬ所の他には
急いで行こう
忍耐をあの御方へ向けよう
苦しむ御方の元へ行こう
十字架の上で
印を示された主の元へ
復活の日の暁のように
私たちと共にあるから
あの御方を見失うことはない
流れ落ちる血と
パンを分かち合おう
めぐり来る聖杯から飲もう
自ら犠牲となった
あの御方を迎えよう
最後の時まで
私たちを愛したあの御方を
・“VOICI LA NUIT”(今ぞ その夜)
クリスマスの前にセレスタンがチャペルに新しいロウソクをセットしていく時に一人で口ずさむ。
また、ファヤティヤらの乱入後のクリスマスのミサでも朗誦される。
サントラCD 11曲目に収録。
今ぞ その夜
始まりの無辺の夜
愛のほかに在るものはない
生まれ来る愛のほかには
砂と水を分かち
神は大地を創られた
御子を揺りかごとして
今ぞ その夜
パレスチナの平和な夜
御子のほかに在るものはない
神の御子のほかには
私たちと同じ肉を取りて
神はすべての砂漠を
とこしえの
春の大地になされた
今ぞ その夜
私たちが歩き続ける長い夜
この場所のほか どこにもない
希望が打ち砕かれた
この場所のほかには
私たちの家々に立ち止まり
神は大地をご準備なされた
天の炎が放たれる茂みとして
・“NOUS NE SAVONS PAS TON MYSTÉRE”(私たちは主の神秘を知らない)
帰国派・残留派・慎重派に分かれた後、クリスチャンが独り森や野を歩いて、もの思いに耽るシーンのバックに流される。
サントラCD 6曲目に収録。
私たちは主の神秘を知らない
限りなき愛を
しかし 主は御心をもって
道に迷った子らを探される
そして 御胸に抱かれる
この厄介な子を
限りある人の世で
私たちは主の御顔を見ない
限りなき愛を
しかし 主は御目をもって
虐げられた人々の
ために涙を流される
そして私たちの上に
光あふれる
眼差しを投げられる
赦しに満ちた眼差しを
・“CANTIQUE DE SIMÉON(SAUVE NOUS SEIGNEUR)”(シメオンの聖歌(主よ、私たちをお守りください)
修道士のそれぞれがテロへの恐怖に怯えつつ、帰国か残留かで悩み、クリスチャンが「遺書」を認めた後の典礼で朗誦される。
サントラCD 10曲目に収録。
栄光は父と子と聖霊に
初めのように
今も いつも世々に
アーメン
起きている時には
主よ 私たちをお導き下さい
寝ている時には
主よ 私たちをお守り下さい
起きている時には
キリストと共に心を配り
平和に憩うことが
できますように
・“PSAUME 142(COMMEUN TERRE ASSOIFFÉE)”(詩篇142(乾ききった土のように))
クリストフがクリスチャンに苦しい胸のうちを告白した後の典礼で朗誦される。
サントラCD 4曲目に収録。
乾ききった土のように
私の魂は主を慕います
乾ききった土のように
私の魂は主を慕います
主よ 私の祈りを聞き
あなたの真実と正義をもって
私にお答え下さい
あなたの しもべを
裁かないで下さい
人は誰も御前に義と
認められないからです
敵は私の魂を追い詰め
私の命を地に打ち砕き
死んで時を経た者のように
私を暗い所に住まわせました
それゆえ
私の霊は私のうちで衰え
私の心は私のうちで
荒れさびています
主よ 早く私に答えて下さい
私の霊は滅びてしまいます
私に御顔を隠さないで下さい
私が穴に降りる者と
等しくならないため
・“Ô PÉRE DES LUMIÈRES”(光の父よ)
修道院の上空をヘリが旋回している時に、修道士たちが肩を寄せ合って朗誦する。
サントラCD 13曲目に収録。
父よ 光の父
とこしえの光
あらゆる光の源
主は神々しい
御顔の輝きによって
夜の入口で
私たちを照らす
主において 闇は
闇ではなく
主において 夜は
昼のごとく明るい
願わくば主の御前で祈る
私たちの祈りが
香が立ち昇るように
高く昇りますよう
私たちの手が夕べの
供物でありますよう
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◆「修道院」について
清貧・貞潔・服従といった修道誓願を行なって、イエス・キリストの精神に則った、禁欲的な修道生活を送る者を修道士と言い、彼らが、世俗生活を離れ、祈りと労働のうちに共同生活を送るための施設を修道院という。
修道院は、内部の交流を図り、外部からの敵の侵入を防ぐために、外壁を設け、その内側に、チャペル、集会所、食堂、共同寝室、作業所などを作り、自給自足を図っている。
[修道士と聖職者]
カトリック教会には聖職者を「神父」と呼ぶ言い方があるが、カトリックの修道士のすべてが「神父」なのではない。「神父」とは、一般的に、聖職者である「司祭」に対する敬称であり、修道士は自体は、身分としては、聖職者ではなく、一般信徒である。だから、修道士も、秘蹟(洗礼、聖体、婚姻の秘蹟、叙階、堅信、ゆるしの秘蹟あるいは「告解」、病者の塗油)にあずかるためには、最寄の教会に通う必要があった。しかし、修道院は、人里離れたところに設けられることが多く、修道院から教会に通うことは現実問題として難しい。そこで、修道士の中で、叙階を受けて聖職位階(司教、司祭、助祭など)につく者が出てくることになる。叙階を受けて聖職者となった修道士を「修道司祭」もしくは「司祭会員」と言い、叙階を受けていない「修道士会員」や、修道士ではない司祭「教区司祭」とは区別する。
修道院長も、もともとは聖職者である必要はなく、したがってかつては司教の権威の下にあったが、時代を経て、司教から独立し、教皇のみに服従するようになった。
かつて修道院長は、修道士たちにとっての絶対的な権威であったが、現在は、精神的な指導者であり、共同体のリーダーというにとどまっている。聖職者である「修道司祭」に関しても、以前は、「修道士会員」より身分が高いと見なされていたが、現在ではそのような区別はなくなっている。
チビリヌの9人の修道士のうち、叙階を受けているのは、クリスチャン、セレスタン、ブリュノ、アメデ、ジャン=ピエール、クリストフの6人である。
[シトー修道会]
1098年、フランスのシトーに設立されたシトー修道院を発祥とするカトリック修道会で、「聖ベネディクトの戒律」を厳密に守ることを旨とする。
「聖ベネディクトの戒律」とは、529年にカトリック教会最古の修道会ベネディクト会を創建したヌルシアのベネディクトゥスが、生活の規範として書き残したもので、修道士のあるべき態度、典礼に関する注意事項、生活の指針等が細かく定められていて、多くの修道会の会則のモデルとなっている。
シトー修道会の特徴としては、規律によらない衣食の禁止、所有の禁止、絶対的な共同生活、手仕事による労働、などが挙げられる。僧衣は、染料を用いない白い修道服を着用する。
本作に登場する修道士は、厳律シトー会(トラピスト修道会)に属する修道士で、厳律シトー会とは、1662年のフランスのラ・トラップ修道院におけるド・ランセによる改革を起源とし、シトー会の生活様式に厳格さを加えたものである。この改革は、もともとは修道院内部での改革で、いくつかの修道院に採用されたに過ぎなかったが、1892年の総会で、シトー会から独立した修道会となり、1894年に教皇から認可された。厳律シトー会の特徴としては、厳重な沈黙、完全な共同生活、菜食(のちに乳類も採用される)などが挙げられる。
[修道院生活]
シトー会/トラピスト会の生活は、聖書に基づき、聖ベネディクト会の戒律に従って営まれる。聖ベネディクト会の戒律は、修道士たちの典礼にも伝統的な形式をもたらす。
「聖務日課」は、1日に7回、「詩篇」に基づいた修道士たちの典礼で、チャペルで行なわれる。聖歌は、典礼の重要な部分を占め、シトー会の生活にリズムを作り出す。声に出して歌うことで、「生命の息吹」(Breath of Life)に触れることができ、斉唱することで、彼らはともに精神世界に入り込むことができる。
シトー会士は、1日のほとんどの時間を黙して過ごすが、それはそうするように定められているからでもある。また、彼らの生活は、修道院長(大修道院長もしくは小修道院長)の指導に従って進められる。重要な決定は修道院総会で行なわれる。
シトー会/トラピスト会士に、伝道の義務はなく、改宗からも免れている。
聖ベネディクト会の戒律では、修道士には、奉仕と共有の実践(特に貧しきものや異国人、傷病者に対して)が求められている。体を使って働き、近隣の住民と農作業を通して、関係性を深めることも定められている。
修道士たちは、農耕をはじめとする手仕事に従事して、必要なものを生産するほか、余剰のものは町に出て販売したりもする。
修道士は、自然の中で黙想することを好むため、修道院は、たいていは人里離れた地に建てられていることが多い。トラピスト会士は、1ヶ月に一度自然の中を歩き、黙想する。
今日、厳律シトー会は、修道院が96と女子修道院が66あり、そこに約2600人の修道士と約1900人の修道女が暮らしている。
日本には、北海道に当別修道院(灯台の聖母トラピスト大修道院)、大分に大分トラピスト修道院(お告げの聖母修道院)があり、女子修道院として、函館の女子トラビスチヌ修道院のほか、兵庫県西宮市、栃木県那須市、佐賀県伊万里市、大分県宇佐市の4ヵ所に設けられている。
現代では、修道士も、隠遁生活ではなく、時代の求めに応じて、積極的に外の世界に出て行くことが多く、修道院も一般の建物と変わらないものも多い。
アルジェリア内戦について
1989年、アルジェリアでは、経済状況の悪化や食糧難など、国民の不満を解消するために、1962年の独立以来、社会主義政策を推し進めていた民族解放戦線(FLN)の一党体制から、複数政党制に移行する。
その結果、1990年6月に行われた地方選挙では、イスラム原理主義者によるイスラム救国戦線(FIS)が50%以上の票を得て勝利し、続いて、1991年12月の総選挙でも、FISは圧勝する。勢いづいたFISは、フランスの影響を大きく受けて、世俗化したアルジェリアを改めるべく、憲法を廃し、イスラム法による徹底した統治を進める。
こうした急激で極端な政策は、激しい反発と混乱を呼び、軍部の介入を招いた。
1992年1月、クーデターにより国家最高委員会議長に就任したブーディヤーフは、ヨーロッパ諸国の支持に力を得て、選挙結果を無効とし、FISの非合法化を断行。
一方、イスラム原理主義者たちは、こうした弾圧に武力で対抗して、6月29日にはブーディヤーフを暗殺。10月には武装イスラム集団(GIA:Le Groupe Islamique Armé)を結成して、テロ活動を展開した。以後、政府軍とイスラム原理主義者勢力の対立によるアルジェリア内戦は激しさを増していく。本作で扱われている事件が起こったのは、こうした状況下であった。
1999年4月、FLNと軍部の支持を得て、文民として34年ぶりにアブデルアジズ・ブーテフリカが大統領に当選。彼は、「平和と国民和解のための憲章」に対して国民投票を行ない(2005年)、一部の過激派以外で、武装解除に応じ、法を遵守すると誓ったGIAメンバーに対して、恩赦を発令するなど、内戦の沈静化を図った。
10年以上におよぶアルジェリア内戦の犠牲者は、10万人以上、一説によると20万人以上とも言われる。
※参考:フリー百科事典Wikipediaの「アルジェリアの歴史」の日本語版および英語版。
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◆武装イスラム集団(GIA)について
1991年のアルジェリアの総選挙で、イスラム救国戦線(FIS)が勝利したのにも拘わらず、軍部がクーデターを起こし、選挙結果を無効として、FISを弾圧した結果、誕生したアルジェリアのイスラム原理主義の武装組織で、アルジェリアにイスラム国家を建設することを目的とする。略称は、GIA(Groupe Islamique Armé)。
1992年以降、アルジェリア国内で激しいテロ活動を行ない、政府軍との内戦を引き起こした。
ターゲットとしては、民間人やジャーナリスト、外国人で、1993年9月には在留外国人に対するテロ攻撃を表明し、100人以上の外国人を殺害した。
本作で描かれるような喉を切り裂いて殺す残虐なやり方は、アフガニスタン紛争に参加したアルジェリア民兵が広めたものと言われる。
特に1997年から1998年にかけては残虐さを極め、アルジェリア北部の村で皆殺しを行ない、いくつもの村を壊滅させている。
あまりにも残虐であり、また、内戦の終息にともなって、組織は内部崩壊し、一部は海外に逃亡した。
アルカイーダとのつながりも指摘されている。
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※参考:フリー百科事典Wikipediaの「修道士」「修道院」「叙階」「司祭」「シトー会」「ベネディクト会」「厳律シトー会」「詩篇」「聖餐」の項目、『ブリタニア国際大百科事典』の「修道院」「シトー会」「トラピスト修道会」の項目。