![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/6d/d67aacc88f1876943b83c0444e9380b9.jpg)
売買春=性暴力の視点で活動を続ける。BUKLOD=絆の代表者である。高里鈴代さんが流暢な通訳で、彼女のこの間の関わりの中で見えるフィリッピンの姿もヴィヴィッドだった!16000人性産業に従事していた女性たちが米軍スービック基地閉鎖後は4000人に減少した現在のオロンガポらしいが、基地の後に出来た韓国系企業(20000人の就労者)ができ売買春状況に変化があるようだ。2008年以降の米軍のvisiting forceが毎月またフィリピンにやってくるようになっている状況があり、冲縄の海兵隊との繋がりも大きいとのこと。
売春=Human rights violationと見る視点である。昨今のSex workerのポジティブな視点ではない。性=セクシュアリティの在り様総体が常に問われている。社会の二重規範の中で女たちの置かれた位置は、昨今のグローバル化でますます性産業が流動化し、女性の性の収奪は変わらない人類の歴史の現在である。それは何を意味するのだろうか?
高里鈴代さんたちを代表とする「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」は軍隊=暴力装置を脱化する運動をこの間続けてきた運動主体である。ジュディス・バトラーの軍隊に対するスタンスはこれは過渡期として肯定する見解をどこかで書いていたと記憶している。軍隊の暴力性は戦争遂行主体であり、防衛と敵は殺せの主体ゆえに、まさに暴力装置の先頭に立つ。この間の現況に至る人類史を紐解く壮大な思想が問われる。
暴力、戦争、性=セクシュアリティ、社会構造、法体系、家族、もろもろの人間の営みが問われる。人間が維持してきた社会装置=ことばの体系でもあるのか。現象と構造と未来のよりよき形態の在り様が問われ続ける。
最貧県、冲縄、見えない見える性産業の世界で生計をたてる女性たちは増えているに違いない。そこで子供たちを産み育てる女性たちの姿があふれている。性を多角的に見据える視点の在り処。射精の快感を求める男性性と女性たち、子供を育む性の差異の中、興味深いのはフィリピンの母系的に見える家族のありようである。貧困が性産業の根にあるが、多くのアメラジアンが誕生している中、彼女たちは共同共生しながら命を子どもたちを育んでいる。自殺を奨励する国ではない。あくまで母性は大きな力に見える。母系的な社会構造は興味深い。冲縄との根の繋がりはそのへんかもしれないと思いつつお話を伺った。
日本の遊女や芸者との関係でダンサーや歌手の女性たちの待遇と単にホステスで性を売る女性たちとの差異をお聞きしたらあまり差異はないとのことだった。つまり芸を売ることは、あまり差異化されないのである。ダンサーが200ペソの収入になることはあるとのことだったが、芸=ダンスや歌唱能力がSEXを提供することにプラスになることはないということなのだ。SEXサービスの技術を買手は金を支払って要求する。つまりSEXはマッサージと同じように買う商品でありつづける。その技術を主体=買う性の男たちが求め続ける現実がある。
基本的人権の侵犯、それへの対処。
フィリッピンでは12歳以上の女性とのSEXは問題化されないが、12歳以下は犯罪で、市長や国会議員による性犯罪がメディアの話題になっているという。日本では未成年とのSEX買春は犯罪で名前が新聞で開示される。
以下は今回のうないフェスティバル2012参加の講演会主催「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」のちらしである。興味を引いたのは、売買春ではなく、人身売買と書いていることである。人身売買とSEX産業との関係を見据えてみたい。国際的に人身売買の現象の悍ましさはすでにネットでもあらゆる表象の中でも多様に可視化されている。ネットのダークサイトなどがある。人間社会の格差と言い切っていいのだろうか?収奪される性と収奪する性がある。しかし構図は単純ではないのらしい。さて、『売春という思想』を読み切ろう!
**************************************************