志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

「自由を我らに」文語文で書かれた日本国憲法を口語文に直すために集められた言葉の専門家10人!

2018-06-17 20:38:40 | 沖縄演劇

与えられた時間は2時間、舞台の時間と重なる。喜劇である。拝聴しながら幾分笑えた。しかし会場に笑いは弾まなかった。饒舌にことばが流れるゆえか、会話、語りのことばを追いかけている感じだ。1週間で急いでできたマッカーサーの憲法を語る舞台だ。明治憲法の発想を持った日本の政治家、その問題提起をしたのが毎日記者。その当人も登場する。小説家、詩人、歌人、劇作家、推理作家、随筆家、コピーライター、新聞記者などなど10人が招聘された。

「基本的人権の「的」ってなんですか?」的(まと)が~のような?

「最低限度の文化的生活って、どの程度が最低限度なんですか?」

「日本の象徴って天皇陛下なんですか?富士山?」
「戦争って本当に放棄してもいいんですか…」侵略されたら?

誰もが知っていて、誰も知らない(?)日本国憲法に書かれた曖昧な表現を次々と見つけては会議が踊る抱腹絶倒の会話劇!!←の筈で、笑いがはじけない。会話がテンポよくはじけていくそのスピードに圧倒される。笑いが追いつかない感じ。演じた面々の台詞は明瞭で、あざとい。沖縄の現代演劇を演じる役者としては力量のある面々である。2回の公演が惜しまれる。現憲法遵守の思いも深い中、その矛盾を突く動向も昨今の流れで、憲法改正草案も踊っている昨今だ。

ネットでは以下の紹介がある。

「日本アカデミー脚本賞の脚本家「じんのひろあき」が1997年に描いた傑作コメディを、グリーンフェスタ2015大賞を受賞したカプセル兵団の吉久直志が演出!!
音響、照明に頼らず。実力ある役者達が毎回好きに動き、その場の感情で会話しリアクションする「ライブアクション演劇」で贈る【演劇のおもしろさ】が詰まった、会話劇コメディの決定版!!」

 新垣正弘が最近田原演出の舞台でいい雰囲気を出している。東京で現代劇をやってきた真骨頂か。シアターテンの大山瑠紗もいいね。第9条の戦争放棄を死守する論を強調するいい役を演じている。芸達者の犬飼憲子、安次嶺正美、また台詞が明瞭でナレーションでも手堅いあったゆういち、嘉手納良智、金城太志、宮里京子、そしてシニカルな役柄で抜きん出ている田原雅之がいる。シアターテンの役者の共通語の使い廻しがいいね。2時間、憲法論議のことばのやりとりの面白さ、そのシニカルな展開に70年を経た現在、憲法改正が注目されながらなかなか聖域のように祭り上げられている「憲法条文が中軸の舞台」である。戦後の文筆家の状態、原作者の小説を勝手に舞台に仕組んでいる野放しの著作権のありようなど、もわかる。←なるほど!

 沖縄は米軍占領の27年間を経て、基本的人権の米軍による侵害の異常さ・不条理の中で麗しい『日本国憲法」の元で自らの権利を保護されたい思いの中で祖国復帰運動に1960年頃から激しい政治運動を繰り返してきた。その結果としての日本復帰であり、ナショナリティは日本へ帰属してきた。その麗しい日本国憲法の元の現在である。その憲法の上部構造に位置するのが日米安保条約であり、地位協定だということ、その縛りの中で、何と米軍占領期と変わらない現況であるという事実を受任(受苦)している。日本国家ナショナリティと米軍地位協定の両方の楔を生きている矛盾の中にあり、1週間で設立した麗しい憲法の保護の元にあるという構図だが、その美化された憲法の曖昧さ、ことばの妙を辛抱(信望)しているのも事実である。

 戦後の文筆家の知識人層をして、憲法を論じる姿をシニカルに描くことによって、じんのひろあきは一つの問題提起をしたのだろうが、どれだけ日本人が憲法についてコミットしているか、その他人行儀のすました状況も風刺したのであろうこの芝居が、さて沖縄でどう受け止められたのだろうか?日本語の曖昧さと麗しい条項の差異も漂う中で戦後日本があった事実、されど憲法、やはり憲法のブーメランを生き活かされている私たちだろうか。麗しい憲法、ノーベル賞候補にもなっている日本国憲法がその発端からアメリカの影を伴ってきた戦後日本の姿を同時にあぶりだしているはずだがーー、その根源に潜む矛盾・ことばの曖昧さと共に、ことばがまた信じられるもので行間の齟齬や乖離や遊離も含めて、さて憲法とはなんだ?と再考せざるをえない舞台であることは事実だろう。

 聖域、アンタッチャボーuntouchableの憲法なのか?ことばで構築される条項そのものの信憑性がまた問われている。明治憲法が亡霊のように対比されることもある現在、民主国家のありようが問われ続ける。戦後70年余の日本国家の実体がこれでもかとあぶりだされる現在、日本は日本国憲法はどこへ向かっているのだろうか?沖縄において憲法の位置づけはどうなっているのだろうか?麗しい憲法の元で沖縄の主張(基本的人権や表現の自由、最低限の文化的生活)は保護されているのだろうか?アメリカが主人の現況は憲法無視ではないのだろうか?「平和憲法の理念」とは?曖昧な観念(ことば)が1億人以上の日本人を保護(呪縛)しているのだろうか?憲法の理念は形骸化しているのだろうか?麗しい憲法、麗しい憲法とアメリカの実質的軍事植民地のような沖縄そして日本(?)、この不条理をどう解けばいいのだろうか?世界のパワーポリシーの構図の中に据えられている麗しい憲法?

 

http://yaplog.jp/henkutsu/archive/1050 ←からの転載が以下である。1997年当時の舞台評だ。背景がよくわかるので、そのまま「備忘録」としてもってきた。

9月2日水曜夜は下北沢のザ・スズナリで44 Produce Unitの「自由を我らに」を観た。

俺は井上カオリ、福島まりこ、江原里美、小山萌子といった面々の出演に心が動いたのだった・・・

この芝居は作家・映画監督のじんのひろあきが1997年、当時旗揚げしたばかりの44 Produce Unitに書き下ろした作品で12年振りにふくふくやの司茂和彦の演出で再演された。
客席はほぼ、満員。
老若男女、種々雑多。若い女性もかなり多い。

舞台、楕円形の長テーブルが斜めに置かれ、椅子が10脚、上手奥が一段、高くなっていて、机と椅子が3脚置かれている。
舞台上手手前に黒板が置いてある。

19時5分、客電が消える。

終戦直後、GHQの指示によって憲法草案が作られ、これを分かり易い口語文にするために集められた小説家、文筆家、歌人、新聞記者、広告文案家、劇作家等の日本語の専門家10人。
憲法を口語文にするために彼等に与えられた時間はわずか2時間。
彼等は憲法の単なる口語化の作業よりも憲法の表現、内容や解釈に議論が集中してしまう。
全編、ディスカッションから成り立つワンシチューエーション・コメディだ。

口語化するために与えられた2時間と芝居時間がほぼ、同じくらいの時間になっているので、口語化出来るかどうかの結末と芝居が終わるのがシンクロしているのも妙。

俳優名がそのまま役名になっている。
政府の役人が責任者44北川、補佐佐藤正和、書記最所美咲の3人、日本語のプロを演じるのが井上カオリ、塚原大助、大出勉、芹沢秀明、豊島郁也、江原里実、種子、小山萌子、白井圭太、福島まり子の10人。

制限時間2時間と知って、
小山「推敲するのが作家の役目。こんな限られた時間ではちゃんとした作品になれません。自分の言葉に責任が持てません。」と帰ると云い出す。
北川は「ぎりぎりまで頑張ってみましょうよ。」と小山を何とか説得。
豊島は草案を「不快を通り越して怒りを感じる日本語」だとバッサリ。

先ず、皆の俎上に載るのが憲法12条。
「不断の努力」って何?ずーっと努力しろということ?疲れちゃう。
「基本的人権の的」って何?「的」は何々のようなという意味だから、曖昧じゃあないの?
等々の意見が噴出。

次に、第1条「天皇は日本の象徴」が議論に。
象徴は代表する印、記号という意味だから、「日本の象徴は富士山」でもいい訳よね、と云い出す福島。
「形になるわけないでしょう、こんな話し合いで!」すぐ切れる小山。
「何だか、分かり辛いけど、でもまあ良く読めば雰囲気は伝わるし・・・」とすぐ妥協する江原。
「今日のところはこの辺で勘弁してやりますか。」と井上。

司会がまずいということで司会が交代する。
塚原「流れが変わって真っ当な方向に進むかも知れない。」ところがドッコイ。

立場が変わった北川が第9条のことを云い出す。(何で、政府側の北川が問題提起するんだ!?という面白さ)
豊島「戦争以外にアメリカを負かす方法があれば戦争を放棄しても良い。」
これも立場が変わった最所「戦争はやってはいけないんです!」
芹沢「他の国が攻めてきたらどうするんだ!?」
「交戦権という考えがあるし、侵略戦争に対する自衛権も存在する。」と北川。
塚原「憲法も曖昧にしておくってほうがいかにも日本の憲法って感じで・・・」
小山「臨機応変に対応ができるんじゃ・・・」

25条“健康で文化的な最低限度の生活を営む権利・・・”と13条“幸福追求に対する国民の権利・・・”も議論の対象に。
豊島「(この表現も)曖昧指数が高い。」
最所「戦争放棄は曖昧にしてはならない。」

「この憲法には願いが込められているんです。新しい国を、新しい平和な世界を夢見てもいいんじゃありませんか!それでいいんじゃありませんか?」と孤軍奮闘、熱弁を振るう最所。
江原「この憲法でいいんじゃありませんか?これで1つやって見ましょうよ。」
小山「夢を見るのはいいんですけど・・・夢はいつか覚めますよ。」
最所「分かっています。でも、それが続く限りは・・・」

最所「間違っていませんよね。」
北川「もっとずっと時間が経ってみなきゃ分からんよ。」
(間)
北川「良かったんじゃないか?」

白井「次の日本の標語は何がいいですか?」
・・・・・
北川「『自由を我らに』」

皆が去り、最後に残った北川、テーブルの上に草稿を置く。
部屋を出て行きかけて、立ち止まり、テーブルの方に一礼する、(幕)

非常に真面目なテーマを扱った芝居で好感が持てた。
笑うシーンも満載だったが、会場からは余り、笑いが起こらない。←テンブスホールでもそうだった。一部笑いが起こったがー。
扱っているテーマが憲法ということで色々と考えさせられる所為だろうか?
俺は結構、笑っていたけれど、隣にいた若い女性は殆ど笑わなかった。

再演ではあるけれど今回、出演した役者にあたかもあて書きしたようで、それぞれの役者さんにピッタリの台詞、傲慢不埒な感じの佐藤、チョー真面目でたまに抜けている小山、すぐ適当なところで妥協する江原、おかしな点は徹底的に追及する福島、天皇制を信奉する種子(本当に天皇制を信奉しているかどうかは別)等々。

福島は相変わらず、コメディ・タッチでその上、理屈っぽい点が付け加わっていた。
井上は椿組での芝居とはかなり感じが違って一見、凛(?)としていた。
江原は何時ものようにノンシャランとしている。
小山は真面目ですぐ切れるが適当なところも併せ持つ、この人も面白い女優さん。
男優では佐藤が役人の嫌らしさというか、何ともいえない味を出していた。←玉那覇真樹もよかった。

憲法9条論議で理想論を主張するのは最所、ただ1人。
残りの人達は皆、現実主義の主張。
これが憲法9条の現在、置かれている現実そのものなのだけれど、こういう状況のままでいいんだろうかと切歯扼腕する俺。

俺は最近、天皇は日本の象徴でいいと思うようになってきた、というのも、天皇が1番、平和憲法の理念を理解して遵守しているからだ。

観終わって、様々なことを色々と考えさせる芝居だった。
終戦直後の憲法の口語化論議を通じて、現代人の憲法に対する考え方の相違、亀裂が透けて見える。
でも、曖昧なところや解釈が如何様にも取れるといった問題点を含んでいたとしても、願いが込められている憲法を続けようという作者の静かで確固たる主張が浮かび上がってくる。
今年のベスト1の芝居だといっても良いかと思う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。