沖縄の某文学賞の選考に20年以上関わり続け、アメリカ文学・文化研究者として研究実績の深い山里勝己氏は『眼の奥の森』を目取真作品の最高傑作だとお話した。それは具体的な文体や作風、テーマも含み、作品の重層性、ポリフォニー的な響きあう言葉、その世界への賛辞でもあったのです。実験的な言語表出としても優れているとの評価です。
しかし、あのルビのある語りをどう翻訳するのだろうか?翻訳できないものは生身の言語で舞台化したいというのが演劇にかかわっている者の思いです。香港で西洋と東洋を結び付ける大胆なコンテンポラリー演劇を演出しているダニーさんが脳裡に浮かびます。生のウチナーグチの舞台の背後に英語の字幕が付いているような舞台も可能です。
沖縄の作家は母国語(ウチナーグチ)で創作しながら(無意識の中のウチナー語でもある)、翻訳し、創作している、という新しい視点を提示した山里氏でした。
地の文と語りの差異もあり、表記言語と表音の差異は近世からありました。記述言語と口語の差異があり、それに日本共通語がやってきました。二重言語性は三重にも多重にもからみ、沖縄の創作言語は多言語のちゃんぷるーの中で営為がなされています。その無意識の意識の流れだけではなく、多声を持っているという点で優れているのですよね。ハイブリッドであり、もっと多層ですよね。輻輳する文体です。
山里氏がフランク氏と中心になって翻訳した『Living Spirits』はいまや絶版で値段が500ドルにもなるとのことです。凄いですね。
おもろや琉歌、小説、詩、新作詩劇など、ウチナーグチから直接英語に翻訳しています。ウチナーグチから日本語、そして英語への流れではありません。
山里氏の視線の柔らかさがあります。具志堅と今帰仁の地域言語はかなり近いとのことですが、ウチナーウィキガたちの共通する魂、精神の誇り(心意気)が感じられた短い90分ほどの講演でしたね。
アメリカの国会議事堂の中で沖縄の文芸についても山里&フランクさんはその独自の翻訳の取り組み、中身について招聘されお話もしています。沖縄を世界に拓いていく先端の知性(アカデミア)を担っているのですね。
今回ちょとアナログ的だが緻密な研究を続けている沖縄文化協会での山里氏のお話はとても刺激になったのではないでしょうか?かなたとこなた、こなたとかなたは繋がっているのですね!
目取真 俊さんの『眼の奥の森』が多言語に翻訳されて沖縄からノーベル文学賞受賞のニュースが21世紀にありえることを念じるばかりです。
山里氏はかなり大城立裕氏の作品、新作組踊にいたる氏の革新的な取り組みについてもお話されています。文芸創作の基本構造として冒頭の二重言語感覚、つまり2つの言語で創作してきたという指摘など鋭いですね。
個人的にはこのブログですでに指摘しているのですが、小説、沖縄芝居、詩劇(新作組踊)とそのトータルな大城氏の創作について対象化したいと考えています。また目取真 俊さんの翻訳に関しては氏の論評も含め翻訳するプロジェクトが出来ないかと考えた経緯があり、なかなか前に進みませんが、多言語翻訳組織(プロジェクトチーム)を作って推進する方向性が見えてきたらいいと切に思います。一括交付金など、このようなソフトな知的構築に予算化されるといいのですが、文化推進の核(コア)になるはずですね。
今日と7月2日に上演される「タンメーたちの春」は全編ウチナーグチで表記され、その脚本を無料で観客に配布するとのことです。是非劇場へ!劇団創造の新しい試みは眼を惹きつけますね!(招待券をいただいたので、もっと宣伝したいのですが、7月2日に観劇予定です!6月26日に観た方々の批評をお聴きしたいところです。)
「タンメーたちの春」
第38回公演
タンメーたちの春
2016年6月26日(日)午後2時/午後6時30分
うるま市民芸術劇場 響ホール
2016年7月2日(土)午後1時
国立劇場おきなわ 大劇場