金城 厚先生の「冠船躍」とは何か
ー冊封使録から見る琉球舞踊の成立ー ≪沖縄文化第48巻号 115≫2014.2
今年初めにも読ませていただいたが、また目を通した。なるほどです。従来の冠船芸能の中身の定義が変わってきましたね。
入子躍+組躍、端踊りがいわゆる冠船芸能なんですね。
金城先生は少年たちの聖なる力を強調されていますね。
入り子踊りから村々の民俗芸能への影響というより古代からありつづける祭祀芸能のウシデーク≪女性だけの踊り≫などを模倣した形で入子躍(入子踊り)があり、宮廷の冠船踊りから逆流して形式化されていった村踊りがあった要素も否定できないようです。←確か矢野輝雄さんの著書にもそのような事が書かれていたように思います。祭祀芸能のウシデークの影響を受けた入子踊りのようにー。『芸能史話』94ページには、≪つまり村芝居で見られる「長者の大主」の形が、そのまま踏襲され、いくつかの踊りがいれこのように一組として構成されており、入子踊りともよばれている≫と書いていますね。
天孫太平歌ともありますね。それが群舞で、この論の中で展開されている入子躍の説明にも類似しますが、矢野論とまた微妙にことなりますね。でも矢野さんは確かにどこかに、ウシデークと入子躍のことに触れていたと思います。どこだったかな?ウシデーク研究の第一人者平良徹也さんにお聞きしたいところです。
祭祀芸能は輪踊りである。その輪踊りを冠船芸能は取り入れたとみていいのでしょうね。そこにジェンダー・ストラティフィケーションがまた起こっていますね。少年の神々しさですか?公の芸能から女性を排除した表の芸能ですね。しかし村々、間切りでは女性たちが祭祀芸能を担っていたのですね。なぜ女性が排除されたか、そこはやはり、フェミニズムやジェンダー理論から見ても、演じる女性=性的オブジェクトだったからでしょう。あしゃぎや御嶽での神踊りは女性だけで、あくまで神々にささげる踊りですから、そこに神と交わる性(聖)的シンボリズムはあったとしても、公≪一般男性≫の眼差しに晒される性オブジェクトではありえません。そこで少年たちが登場したのかもしれませんね。歓待芸能の主体をになった少年たちです。金城論文に疑問も浮かびます。