うつくしい紅型衣装を身に着けた女性/男性の踊りは華やかですね。これは組踊「女物狂い」の母親(今でいえば夫を亡くして懸命に息子を育てるシングルマダーですね。)で胴衣、下裳の上に紅型衣裳を着ています。こちらは「長者の大主」の女性たちで...
御座敷にはじまりお座敷におわる琉球の芸能だったのかもしれませんね。仮設舞台はかりそめの舞台だったのですね。
1672年から1879年それから近代の66年間、遊里・遊廓は琉球・沖縄の芸能で大きなトポスだったのですね。女性たちはずっと歓待芸能を歌・三線(蛇皮線・三味線)を奏で、琴を奏で、踊ってきたのですね。王侯貴族も、薩摩在番や役人も連れたって砂遊びしていますね。美しい現地妻(アグシタリー)は豪華な雰囲気で絵画にも描かれていますね。何しろ琉球国の在番の妻ですからー。多くの富を琉球から収奪し監視する薩摩の代表で今でいえば高等弁務官のような人物だったのでしょうか?