《笑顔の遺影》
にこやかな笑みをみるのがつらかった
でもあなたは
多くの方々に慕われ
牛舎の匂いが、土の匂いがたちこめる
沖縄市葬祭場で
笑顔溢れてそこにいた
かつて戦場をさまよい収容された赤子や幼児たち
親を失い、力尽きた命が最後に見たものは何だったのか
魂がゆれゆれて消えていった空間
そこへユタと共に戦場で見失った子供を探し求めて
行き着いた女がいた
小説の中の風景、裏覚えしている場所
戦災孤児の多くが眠る場所
土の恩讐がたちこめる場所
伊集の花が咲き月桃が咲きほころぶ
5月
相思樹もまた優しげな黄色の花弁を誇示する5月
5月は母を失った、見捨てられた子供たちの
ありし日の命が
それらの花々の中に蘇る時
あなたは逝った
人は誰でも永遠の死者
しばしの別れ
ひろみさん、あなたのパッションは
引き継がれていくわよ!
【沖縄】沖縄市市史編集室は1945年から49年ごろまで現在の同市住吉にあった「コザ孤児院」で亡くなった子どもたちの慰霊祭を26日午後1時から、沖縄市納骨堂(同市倉敷)で行う。慰霊祭の開催は2010年に続き2度目。同室は「前回は孤児院を出て離れ離れになった人たちがその後の人生を語り合ったり、戦争中に兄弟や姉妹と生き別れた人たちが情報を求めて集まる機会にもなった」と関係者の参加を呼び掛けている。
慰霊祭に続き、コザ孤児院の企画展を開催している市戦後文化資料展示室「ヒストリート2」、現存する旧コザ孤児院も案内する。
孤児院は米軍が設けた民間人収容所「キャンプ・コザ」内にあった民家に設置された。沖縄戦で親が亡くなったり、行方不明になった子どもたちが入ったが、栄養失調などで亡くなった子どももいた。
コザ孤児院には自分の名前も分からない乳児や幼児もいたという。沖縄市役所には同院にいた人や、消息不明になった家族を捜している人から「自分の本当の名前が知りたい」などの相談がたびたびあったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120324-00000012-ryu-oki
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(沖縄タイムスネット新聞)より、転載!
舞台プロデューサー 池原弘美さん死去
文化 2012年5月17日 09時44分
(31時間19分前に更新)
【沖縄】舞台芸術プロデューサーとして活躍した池原弘美さんが16日午前3時40分、がんのため、うるま市内の病院で死去した。53歳。沖縄市大工廻出身。告別式は17日午後3時から4時、沖縄市倉敷111の5、沖縄葬斎場で。喪主は長男憂(ゆう)氏。
自身の経験と女流歌人、恩納ナビーの人生を重ね合わせた舞台を企画し、全国各地で公演。闘病中の今月12日には、復帰40年を記念し、伝統芸能公演「嘉例(かり)~」を横浜市の神奈川芸術劇場で開いた。YYカンパニー代表として、沖縄市民小劇場あしびなーを拠点にした「コザ歌舞団」の企画運営を担い、プロデュース業の存在意義を高めたことなどが評価され、今年2月には沖縄タイムス芸術選賞奨励賞(演劇)を受賞した。
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「女優二人」や「かじまやーカメおばあの生涯」のプロデユースも良かったね!栗山民也の演出は味わいがあり、現代演劇に取り組む若者にエネルギーを与えた。そういえば、栗山さんは安奈さんとお二人で献花も。律儀な方なんですね。