以前「首里城明け渡し」については「世替りや世替りや」と比較しながら論文を書いたことがあるので、思い入れの深い琉球史劇である。
今回の10年ぶりの公演で良かった所は、松田道之役の宇座仁一さん、宜湾朝保 - Wikipediaの高宮城実人さん、また津堅親方の具志清健さんも安定した演技だった。亀川親方の新垣勝夫さんは与座ともつねさんを彷彿させる演技で、中堅の与座幸賢や与座朝奎 も主役の役柄を演じた。
幕開けの場面で従来あったデイゴの樹木がなかったのが、残念だった。セリフにもデイゴの葉が落ちることへの言及があったと記憶している。
愁嘆場の別れ際の場面がいつも印象的だ。尚泰王の仲嶺さんの声音が独特で良かった。王や王を取り巻く女性たちの紅型衣装は鮮やか際立つ。
三司官や王子たち、琉球国の支配階層が明治政府の鞭と奸計にどう対応し、どう琉球王国が滅亡していったか、一つの歴史の終焉を描いている。
強調され脳裏に刻まれたのは、尚泰の「嘆くなよ臣下 命どぅ宝」である。
抜けた場面が王の御印版を取りに城内に忍び行ってそれを明治政府から送られた兵と対峙して取り戻してくる場面である。
重要な場面だが割愛されている。王の御印版を取り戻す場面は琉球王国のアイデンティティの象徴だと考えるのだが、日本政府追随の思想(大和党)あくまで清に従来の忠誠を希望を託す陣営(支那等)、若者たちの花染党の登場は「琉球は琉球のもの」の代表にも見えるが、この三つの対立の筋書きが演じられるのは新しいテキストレジに見えた。尚泰は政治の重要な判断を突きつけられ隠遁した大和派の宜湾親方に気を配る。つまり大筋の流れは「うふやまとぅ」に併合されていく小王国琉球の宿命を描いているが、何度も強調される言葉は「時勢」である。
大きな歴史のうねり、その「時勢」に逆らえない琉球王国の崩壊を時勢のことばで表象している。「琉球は琉球のものだ」と、山里永吉は強調しているが、時勢に押し流され大和に包摂されていく。薩摩からうふやまと、明治政府へ。
尚家の東京での邸宅はかなりの規模で華族として尊称され、優遇されていく。琉球王府時代よりいい待遇だったとの説もある。明治12年から66年後には破局的、残酷な戦場になった沖縄だった。4人に1人が死を余儀なくされた。近代の夜明け、明治政府による強制的な併合がもたらした結末は惨劇だった。戦後は米軍による占領が続いた。今も実質的に米国の植民地のような形態で日本国が加わった。明治から現代に至る琉球・沖縄の歴史を肯定的に捉えるか、否定的に捉えるか、歴史家の評価も多様だ。
「時勢どぅやる」のことばが何度も繰り返される。以前論文「演劇に見る琉球処分ー「首里城明渡し」と「世替りや世替りや」を中心にー」でも書いたのだが、真喜志台本の「首里城明渡し」には23回もその二語が登場する。オリジナルの山里の戯曲には15回登場する。
今回の津波盛廣演出でも多かった。具体的に脚本を丁寧に紐解く予定だ。後で詳細を書きたい。台本は真喜志康忠さんのものとはまた異なる。台本の変遷も時代の思潮を反映すると言えよう。
オリジナルの日本語版のテキスト、ウチナーグチへの翻訳版がいろいろある。そして現在のスタンスだ。興味深い。
演出で以前より画期的に思えた部分と逆に権威の象徴の王を舞台の真ん中から登場させることができなかった場面の貧弱さもあり、録画された動画を見て分析してみたい。
木梨精一郎は新しい演出か、決まっていた。
那覇市文化協会・会長の崎山律子さんのきれいな日本語のアナウンスはいいけれど、30年間、まったくウチナーグチが上達されないのだろうか。なぜ彼女は、ウチナーグチでアナウンスができないのだろうか?
続く