(自決直前にヒットラーの妻になったエヴァ・ブラウン)
「ヒトラー最後の12日間」はヒットラーの最後の状況を1942年から1945年のヒトラーの4月20日56歳の誕生日直後まで直に秘書として身近にいた女性、T・ユンゲさんを中心に描いた映像のようだ。
元秘書のユンゲさんの発言は、全くユダヤ人虐殺など、収容所について無知だったことを語りながらしかし、それを良心の呵責として受けとめていることがわかる。ユダヤ人を殺戮した意図が何だったのか、すでに多様な研究書や記録が出版されている。アーリア人としての誇りでドイツを中心に世界侵略を夢想していたヒトラーと総統への忠誠心でナチス軍隊の中軸を担っていた面々の最後の姿があぶり出されているのだろうか。秘書のユンゲさんはヒトラーの遺書などもタイプライターで記録してきた女性である。ヒトラーの身近にいて最後の3年間を共にしていたのだ。戦況がどんどん追い詰められていく中にいて、しかし戦争という実態を飲み込めなかった女性がいたのも事実だ。ドイツの戦勝を信じ、ヒトラーへの忠誠心で秘書として尽くしてきた女性が経験した本拠地の状況、その推移は、無残に見えた。無条件降伏を拒絶する姿勢はドイツの過去の大戦における屈辱感があったことが見て取れた。
しかし追い詰められたリーダーがベルリン市民を見殺しにしたことも事実だ。敗戦国の市民はすでに市民でもないと突き放すヒトラーの発言は無慈悲だ。絶望感の局地、敗北とその後の不名誉な結末を怖れて撤退することなく、自決を選ぶ。敗戦で降伏を余儀なくされる前、本拠地はアナーキーな快楽を追求したり、逆に最後まで総統に忠誠を誓い、総統をもてなそうとする幹部の生き様など、忠誠心という奴隷根性は、精神の縛りそのもので、一つの観念の呪縛に類似している。宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス一家の悲劇は丁寧に描かれている。可愛らしい子どもたちを毒殺する。子どもたちはコーラスをして総統と最後の砦【地下壕)にいる面々に明るい空気を注いでいた。
その中で誰が生き延び誰が少なくとも国の幹部としてドイツ市民のために身を徹して尽くしたのか、描かれている。それはドイツ国民にとっては重要な歴史認識(実証)に違いない。ナチス幹部の具体的な動向は実像を彫り込んでいけばもっとこの映像は興味深いものになるのだろう。幹部の中でもヒトラーにドイツ市民の立場から言葉を発することができた面々とただその支持に絶対命令として従った者たちの差異があった。戦後処理(無条件降伏の敗戦処理)に活躍した人々は誰だったのか、あらためてドイツの戦後状況が気になったのは事実だ。
日本の天皇は敗戦に臨んで多くの国民の命を守ろうとしただろうか。軍幹部はどうだったのか?よくドイツの戦後における第二次世界大戦への向き合い方が日本と比較される。実はアバウトの情報は持っていても、よく知っていないのが事実だ。敗戦後のドイツで多くの国民が犠牲になったこと、ソ連軍が押し寄せて女性たちが数多くレイプされたドキュメント映像などはYouTubeで紹介されていた。東西に引き離されたドイツの戦後の歴史は過酷であったに違いない。しかし今やEUを代表する国家だ。
沖縄の総司令部第32軍の末路も残酷だ。牛島中将は自決した。戦争の残虐さは東西共に変わらない普遍性がある一方で、地域性があるのだろうか。住民は戦場の犠牲になっていった。しかし、戦争を起こした国のリーダーをサポートしたのはマジョリティーの国民やメディアでもあった。
軍隊は住民を守らないテーゼが沖縄戦の教訓になっている。
以前見たいと思っていた映像で、評価が高いのはなるほどに思えた。
以下はウィキピーディアから一部転載です。
『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(ヒトラー さいごのじゅうににちかん、原題:Der Untergang、英題:Downfall)は、2004年公開のドイツ、オーストリア(英語版)、イタリア共同制作による戦争映画。監督はオリヴァー・ヒルシュビーゲル、出演はブルーノ・ガンツとアレクサンドラ・マリア・ララなど。原題はドイツ語で「失脚」「没落」の意。
1945年4月のベルリン市街戦を背景に、ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーの総統地下壕における最期の日々を描く。混乱の中で国防軍の軍人やSS(親衛隊)の隊員が迎える終末や、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス一家の悲劇、老若男女を問わず戦火に巻き込まれるベルリン市民の姿にも焦点が置かれている。
ヨアヒム・フェストによる同名の研究書、およびヒトラーの個人秘書官を務めたトラウドゥル・ユンゲの証言と回想録『私はヒトラーの秘書だった(英語版)』が本作の土台となった。撮影はベルリン、ミュンヘンおよび当時のベルリンに近い雰囲気を持つロシアのサンクトペテルブルクで行われた。
「ヒトラー最後の12日間」はヒットラーの最後の状況を1942年から1945年のヒトラーの4月20日56歳の誕生日直後まで直に秘書として身近にいた女性、T・ユンゲさんを中心に描いた映像のようだ。
元秘書のユンゲさんの発言は、全くユダヤ人虐殺など、収容所について無知だったことを語りながらしかし、それを良心の呵責として受けとめていることがわかる。ユダヤ人を殺戮した意図が何だったのか、すでに多様な研究書や記録が出版されている。アーリア人としての誇りでドイツを中心に世界侵略を夢想していたヒトラーと総統への忠誠心でナチス軍隊の中軸を担っていた面々の最後の姿があぶり出されているのだろうか。秘書のユンゲさんはヒトラーの遺書などもタイプライターで記録してきた女性である。ヒトラーの身近にいて最後の3年間を共にしていたのだ。戦況がどんどん追い詰められていく中にいて、しかし戦争という実態を飲み込めなかった女性がいたのも事実だ。ドイツの戦勝を信じ、ヒトラーへの忠誠心で秘書として尽くしてきた女性が経験した本拠地の状況、その推移は、無残に見えた。無条件降伏を拒絶する姿勢はドイツの過去の大戦における屈辱感があったことが見て取れた。
しかし追い詰められたリーダーがベルリン市民を見殺しにしたことも事実だ。敗戦国の市民はすでに市民でもないと突き放すヒトラーの発言は無慈悲だ。絶望感の局地、敗北とその後の不名誉な結末を怖れて撤退することなく、自決を選ぶ。敗戦で降伏を余儀なくされる前、本拠地はアナーキーな快楽を追求したり、逆に最後まで総統に忠誠を誓い、総統をもてなそうとする幹部の生き様など、忠誠心という奴隷根性は、精神の縛りそのもので、一つの観念の呪縛に類似している。宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス一家の悲劇は丁寧に描かれている。可愛らしい子どもたちを毒殺する。子どもたちはコーラスをして総統と最後の砦【地下壕)にいる面々に明るい空気を注いでいた。
その中で誰が生き延び誰が少なくとも国の幹部としてドイツ市民のために身を徹して尽くしたのか、描かれている。それはドイツ国民にとっては重要な歴史認識(実証)に違いない。ナチス幹部の具体的な動向は実像を彫り込んでいけばもっとこの映像は興味深いものになるのだろう。幹部の中でもヒトラーにドイツ市民の立場から言葉を発することができた面々とただその支持に絶対命令として従った者たちの差異があった。戦後処理(無条件降伏の敗戦処理)に活躍した人々は誰だったのか、あらためてドイツの戦後状況が気になったのは事実だ。
日本の天皇は敗戦に臨んで多くの国民の命を守ろうとしただろうか。軍幹部はどうだったのか?よくドイツの戦後における第二次世界大戦への向き合い方が日本と比較される。実はアバウトの情報は持っていても、よく知っていないのが事実だ。敗戦後のドイツで多くの国民が犠牲になったこと、ソ連軍が押し寄せて女性たちが数多くレイプされたドキュメント映像などはYouTubeで紹介されていた。東西に引き離されたドイツの戦後の歴史は過酷であったに違いない。しかし今やEUを代表する国家だ。
沖縄の総司令部第32軍の末路も残酷だ。牛島中将は自決した。戦争の残虐さは東西共に変わらない普遍性がある一方で、地域性があるのだろうか。住民は戦場の犠牲になっていった。しかし、戦争を起こした国のリーダーをサポートしたのはマジョリティーの国民やメディアでもあった。
軍隊は住民を守らないテーゼが沖縄戦の教訓になっている。
以前見たいと思っていた映像で、評価が高いのはなるほどに思えた。
以下はウィキピーディアから一部転載です。
『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(ヒトラー さいごのじゅうににちかん、原題:Der Untergang、英題:Downfall)は、2004年公開のドイツ、オーストリア(英語版)、イタリア共同制作による戦争映画。監督はオリヴァー・ヒルシュビーゲル、出演はブルーノ・ガンツとアレクサンドラ・マリア・ララなど。原題はドイツ語で「失脚」「没落」の意。
1945年4月のベルリン市街戦を背景に、ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーの総統地下壕における最期の日々を描く。混乱の中で国防軍の軍人やSS(親衛隊)の隊員が迎える終末や、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス一家の悲劇、老若男女を問わず戦火に巻き込まれるベルリン市民の姿にも焦点が置かれている。
ヨアヒム・フェストによる同名の研究書、およびヒトラーの個人秘書官を務めたトラウドゥル・ユンゲの証言と回想録『私はヒトラーの秘書だった(英語版)』が本作の土台となった。撮影はベルリン、ミュンヘンおよび当時のベルリンに近い雰囲気を持つロシアのサンクトペテルブルクで行われた。