女踊りのそのほとんどが美らジュリの造形だったので、その後意図的に首里の婦女子の踊りとして振付けられたものができたのですね!
花風=美らジュリです。それに対して本花風ができた。ジュリの対極にあった支配階級の女性の美をその後に創作していった。それも弁証法が働いています。恋の歌は美らジュリへの恋の歌ですね。しかし人間の心のさもしさと形式を追求する美が感じられます。
四つ竹はお座敷踊りですね。遊里にあったお座敷です。歴史を見据えることに、歪みがあり、美化はさらに歪みを増幅することになりますね。
瓦屋節の女性は韓国から技術職人としてやってきた男性に嫁いだ婦女の悲しみを踊っていますね。
フィクションと品位、美をどこに見出したのか、ですね。遊郭では好んで二才踊りが踊られていますね。「万歳」「上り口説」など、長刀もー。少女たちと美らじゅりですね。近代の舞踊家は女性としては彼らが先駆者ですね。弁証法の舞踊ですね。どんどん近代において、そして戦後も手が変わっていって一つの型の方向に束ねられていった。しかし、元の姿をみなければです。原型ですね。板谷 徹さんなどはそれを徹してやろうとしたのですね。
琉縫いや緞子や綸子などの着物で踊る古典女踊りを再現してほしい。つまり地味な衣装で、村々の古典女踊りだけを特集で上演してみせるのもいいですね。通史的にみた型の変容を、舞踊研究者は追求しているかと思うのですが、芸能者としてのジュリの芸能を三線、箏、舞踊で通史的に見てきたのですが、その根っこになんとXXXXがあったのです。