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平敷屋朝敏を磔にした蔡温はやむにやまれぬ政治判断だったのだろうか?朝敏は作品によって永遠を獲得~!

2015-09-23 17:28:13 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

蔡温と対立していた平敷屋朝敏が蔡温を批判する文書を薩摩藩に投書する事件があった。薩摩藩はこれを取り合わず琉球王府に送り、朝敏とその配下15名が雍正12年(1734年)6月29日に処刑されている(平敷屋・友寄事件)。

深夜『平敷屋朝敏作品集』をめくった。仲原裕さんの翻刻と訳注である。34歳の優秀な当時の詩人、作家を磔にした時の為政者蔡温の残虐な仕打ちにやるせない思いが起こった。そこまで、つまり死刑にするほどの罪がどこにあったのか、曖昧すぎるのである。政治手法に対する批判の文書だけで死刑という重さに驚く。しかも15人が処刑されている。朝敏の家族も島流しという処分である。蔡温を評価する研究者は少なくないが、朝敏を磔にした政治家を讃えるのは、最大多数の最大幸福、合理的政治力学が泡だっている。しかし敵対する勢力としてその芽を潰すほどのものだったのか、わからない。薩摩が君臨していた琉球で、政治が問われていた。舵取りが厳しい琉球だったことは想像できる。

今アメリカが君臨する日本の政治である。アメリカの気に入るような政治がなされることが日本の未来にとっていいのだろうか?薩摩と清中国の間にあった琉球は、薩摩に収奪されながら呻吟していた。薩摩=植民地の宗主国である。清は対外的に琉球の国家としての維持装置として君臨したが、それほど収奪したとは言いがたい。国と国の関りの中で息せき切っていた琉球に見えるのだが、奴隷国家ではなく、日本への併合の近代が、奴隷解放ではなかったというのが昨今の歴史解釈だが、どうなのだろう。先嶋の人頭税など、明治36年まで続いている。ものすごい差別だ。戦後にいたるまでも沖縄が差別社会であったことは事実だ。

王侯貴族と一部の士族層が支配階層だった琉球である。間切の農民は収奪されていた。最も収奪され苦しんでいた人々の目線から見据えたら琉球の歴史はどう見えるのだろうか?王府の複雑な対中、対薩摩関係史研究は充実しているようだが、どうも、近代の沖縄の写真を見ても、わたしの眼には貧しさが矢のように刺さってくる。冊封使録を読んでも、王の挨拶文や礼状が泣けるほどの琉球の貧しさだと、唖然としてしまう。しかしその中で培われてきた琉球の文化や伝統が今に息づいている。

朝敏作「手水の縁」などその最高の作品だ。蔡温の実利の政治は評価が高いが、『手水の縁』の文化的価値も大きいと思える。優秀な才能を磔にした蔡温の書籍は専門家以外にはあまり読まれる様子はないが、『手水の縁』は何度も何度も上演され、沖縄文化のエキスになっている。擬古文の小説もまた現代に生きている。悼みと美、愛が貫かれている。

 久米16世の子孫の皆さんは優れた先祖の歴史をまとめられているのだろうか。元沖縄県知事仲井眞 弘多さん、そして沖縄学の父と称される伊波普猷さんも父祖の世代はおそらく福建州の出身だと思えるが~。沖縄の顔のお一人演出家の幸喜良秀さんもご先祖は福建州だと話されていた。久米系統の優秀な方々が沖縄の政治・経済・文化のリーダーである。


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