観たのは「護られなかった者たち」のミステリー、ドキュメント「マダム・べー、ある脱北ブローカーの告白」そして「スーパーノヴァ」である。
「スーパーノヴァ」は、英国の湖水地方の景観が美しいロードムービーのスタイルでアメリカ人作家と英国人コンサートピアニストの最後の旅立ちの物語が美しくて、演じているゲイカップルの愛情の表現の細やかさに引き込まれていた。二度観たのは湖水地方の景観と英語の台詞を味わいたいと思ったからである。
ワーズワースの詩集や批評書は読んだが、シェイクスピアやイェイツ の生まれた街を訪れることはできたが、結局ワーズワースが生まれた湖水地方を訪れたことはない。美しいと評判の湖水地方である。「スーパーノヴァ」の映画の中で美しい湖が登場する。二人が愛を確かめあった場所である。美しい景観と愛の囁きがあった。そして二人の愛は20年間深く深く刻まれてきたのである。
人間の営みと自然、そして宇宙、星の営みがイメージの中で重複し、広がっていく。宇宙の中の存在としての君や私の存在が浮かび上がってくる。
台詞がいい。
字幕で「我々の周囲は無数の驚異で溢れている。問い続けることが大事なんだ」とまとめられた表現がある。
The world will not starve for lack of wonders but from lack of wonder.
by GK Chesterton
映画の中では、
We'll not starve for lack of wonders; but from lack of wonder.だったが、
The world will never starve for want of wonders; but only for want of wonder.
の表示もある。
(世界は驚異の欠乏のために飢えることは決してありません。驚異の欠乏のためだけです。)つまりKeep asking! Keep thinking! である。
There is a wonder in almost everything we see.だと感じている。驚きは感動そのものである。不思議との遭遇、美しいものとの遭遇がある。世界が社会がカオスに満ちていても、世界には、周りには美しいものが存在する。純粋な真実のきらめきは存在する。そう認識して生きることは可能だ。
深夜に映画の英文の批評も紹介しながらじっくり書きたいと思っていたが、シーバが寝床にいたので、そのまま外からの冷気を浴びながら寝てしまった。
星座を女の子と見ながら語る場面が印象的だった。星の存在と人間の存在が重なるイメージが膨らんでいった。古くなった星がやがて爆発してその破片が拡散して新しい星になることもありえる。星に自らを引喩した作家のことばは自らの未来に憂いは感じられなかった。覚悟の死があった。
美しい悲しいピアノの調べ。死は終わりではない。永遠なるものは、ありえるのだと静かな諦観と思い出が、次へと歩を進ませる。
あとで批評のサイトをリンクしたい。すでに映画を観た多くのコメントがネットにオープンにされている。二人の役者サム: コリン・ファース、 (ピアニスト)。タスカー: スタンリー・トゥッチ -(作家)の表情を見るだけで、ひきつけられる映画だ。
認知症、安楽死(自死、自殺)のテーマも~。評価は高い。英国、EUで21世紀ベスト映画に選択されている。自殺の二語はグサリと目に入ってくるが、自死に比べても安楽死の三語はまだ柔らかい響き。自ら死を選択する意思のありかが柔らかく描写されている映像。愛する者たちの記憶の中でまったくの他者のようになることに耐えられないという意志がある。いかに生き、いかに死を受け入れるか、深い問いが迫ってくる。
生きて愛を叫ぶクマゼミたちがいる。人もまた愛を叫んで生きている(はずである)。