(上の写真は新城栄徳さん所蔵の樋口冨麻呂がデザインした雑誌とその下絵です。ジュリと三線の絵図や写真が多いですね。 それだけ三線を弾くジュリの女性が多かったという事を示していますね☆)
(上の写真は韓国の妓生の事例です。右膝を立てています。『沖縄風俗図絵』のレプリカのさらにその複製を見ると筝を弾く男性も右足膝立てですね☆熊本大学に本物の図絵が保存されています。ここで紹介できないが沖縄風俗絵図から発見があります。琉球芸能史の一端ですね。玉城盛重さんもまた右膝立てで筝を指導されていたのだろうか?推測としては、明治初期まで右膝立てでその後正座に変わった可能性が考えられます。それは近代の沖縄に多く寄留してきた人々と沖縄の芸能を担ってきた人々や辻遊郭の芸妓たちとの交流が考えられますね☆筝の世界は近代において多くの辻の芸妓の女性たちがまた担ってきました。絵図や写真に残された女性たちが筝を弾く姿はとても気品にあふれています☆)
幸い、共同研究者を得て、覚醒されていくものがあります。あれもこれもやらないといけない、という強迫観念にも襲われたりしていますが、じっくり資料やデータ収集の夏ですね。じっくり文献を読みこむことも要求されている中で、掘ることのワクワク感は続きます。
ジュリとはズリとも呼ばれ、沖縄学の父・伊波普猷は『沖縄女性史』(大正八年初版)の中でジュリに尾類の当て字をして「尾類の歴史」を書いている。ジュリの当て字は傾城、侏伶、女郎、妓女、芸者、遊女など多様だ。1672年、首里王府の政策として那覇の街に辻遊郭が開設され米軍による1944年の空襲で幕が降りた。本研究は昨今の芥川賞作家大城立裕の小説「幻影の行方」や新作組踊、また池上永一の『テンペスト』も含め、琉球王国時代から現代に至るジュリ(遊女)の表象をまとめることを目的とする。自ずと琉球・沖縄独自(エスニック)の総合的美意識やアイデンティティ、背後に潜む政治・社会・経済・文化・国際関係も副次的にあぶり出されると考える。多様に表象されるジュリと表象するジュリ、両者の対象化である。