ヘチマのツルが、バンシルー(グァバ)の木にまで伸びていったのは、確かだが、何故この間、いつも見上げているはずのその木からぶら下がっているのが、全く目に入らなかったのか。
死角というより、脳の中の認識なり、意識が、そこにあるはずのヘチマを弾いていたのかもしれない。あり得ないものとしての思い込みゆえに、存在さえ認知出来なかったのか。
目線は、いつもニガウリだ。ぶら下がっている、隠れているニガウリ探しに意識が向けられている。ほかカミキリムシとか、昨今は、蚊の予防をしながらクマゼミの羽化が見たくて、探し回った。
しかし、偶然の出逢いはあったが、なかなか難しい。蚊に刺されたくないのて、断念も〜。
それにしても、ヘチマは食べられる大きさを超えて固くなっている。種を取るためにそのままぶら下げておけば良かったものの、何故か手にしたくなって、長い剪定用のカッターで収穫した。
食べられない。種が取れるか、しばらく置いて様子見。
人は見たいものを見て、意識の優先順位で視野に入ってくるのも異なるのらしいと、実感した夕暮れだった。