印象を書き留めておきます。メモ書きです。
男女の愛の三角関係、身分の差を超えた許されない恋、それを壊す玉城朝薫の姿が物語の中心にあり、首里城物語の題名のスケール感の前に内省的で心理劇の歌舞劇(沖縄芝居)になっていた。つまり、面白みは薄れた。違和感があったのは、古典女踊りの「諸屯」を恋に苦しむ神女に踊らせていることである。「諸屯」の琉歌は首里の士族(ユカッチュ)から遊里の美らジュリへの恋の歌である。決して女から男への思いではない。
近世から近代まで男性によって踊られてきた女踊りである。それを現代の視点で神女(のろ)に踊らせている。テキストそのものに問題がありそうだ。当初の演出の影響かもしれないが~。解釈そのものに問題がある。その見解は自論で博論で展開している。宜保さんの『琉球舞踊入門』では女、それも士族層の女性の思いになっている。それはネット上で読める金城光子さんの『琉球舞踊譜(8):女踊り・諸屯譜』でも同じ。これが定説だけれども~。
もともと「諸屯」で踊っている歌詞は女の思いではない。当時の士族(ユカッチュ)の遊里の美らジュリ(遊女)へのうむい(愛情)を詠っている。
出羽踊:仲間節 (国頭朝斉の琉歌)
思事の有ても 他所に語られめ
思影と連れて 忍で拝ま
(あなたを慕う思いを他人に語ることができようか。あなたの面影を抱いてこっそりお顔を拝みたい)
中踊:諸屯節 (赤嶺親方の琉歌)
枕並べたる 夢のつれなさよ
月や西下がて 冬の夜半
(あなたと枕を共にした夢の侘しさよ すでに月は西に傾き冬の夜半)
入羽踊:しょんがない節 (読み人知らず。袖の匂いを歌った士族の琉歌)
別て面影の 立たば伽召しやぅれ
馴れし匂袖に移ち有もの
(別れて後も私の面影が立つのならば、この着物を側に置いてください。馴れ親しんだわたしの匂いはこの着物の袖に移してあります)
いずれにしても、作者大城立裕さんは「執心鐘入」を念頭においている。叶えられない恋の執心は執心鐘入の宿の女の宿命だが、そこに収斂させるためにあえて田舎百姓の美男子ジラーと城内の神女の許されない恋をもってきて、引きさかれてもなお恋の炎をたぎらせる女の執心に重ねている。なるほどだが、『王女と犬太郎』の恋、あるいは類似する乙姫劇団の歌劇の面白さに劣っている。
現代的で愛のトライアングルによる人間の情けの葛藤を身近に見て、それらの人の志情と苦しみを素材に創作するという朝薫の創作の葛藤を見せつけられるのである。面白みはない。現代劇のような心理劇で大劇場の歌劇にするには西欧オペラのようなは迫力がないと味気ない。せっかくのオーケストラ・ボックスの音楽の迫力に舞台がそぐわなかった。心理劇なので~。
オーケストラはもっと骨太の物語にふさわしい。前回見た舞台は、今回より華やぎがあり、相応しい雰囲気があったが、今回は朝薫は冒頭から黒一色の衣装で暗い。鎮魂の思いを演出したかった演出家の意図があったのかもしれないが、重くて、心まで重く海に沈みそうになった。首里城を全面に出すつもりなら、もっとエキストラのキャスティングも出して、大勢の賑わいを演出したら良かった。火事の場面や進貢船の災難の場面など、映像や現代ダンスの手法でうまく抽象絵画のニュアンスで描いたが、迫力がない。
引き裂かれた恋人たち、神女思戸金と進貢船上のジラーの対比の場面は詩劇の雰囲気で良かったが、モダンダンスを見に来たのではない。
すでに「道成寺」の翻案的な筋書きだということは既知である。女の情愛、執心が男を追いかける物語の創作をしたのだが、『執心鐘入』は三角関係ではない。
そこに尚慶王や王妃(うなざら)まで登場し、しかも高貴なお二人が踊るのである。高貴な人物は決して臣下の前で踊ることなどないのが王府時代の習俗ではなかったのか。王侯貴族は芸をご進上される存在ではあっても、自ら芸を披露する身分ではないはずだ。それが堂々と、かじやでぃふ節らしき曲で踊って見せた。
時代考証はどうなっているのだろうか。前に見た舞台もそうだったのか。ちょっと疑問が起こってくる。1992年の初演の舞台、そして嘉数演出の舞台、そして今回と舞台の中身を比較したい。
王や王妃の登場には、沖縄人のウチナーンチュ意識、民族的感情移入が起こる。目の前に王様とお妃さまが立っている姿を見るだけで、涙腺がゆるくなり、わした沖縄の失われた歴史に思いが募っていく。それが劇場という狭い空間ゆえになおさら高まる構造になっている。今回は万国津梁の鐘の銘文がなぜか王と妃に語らせている。そこは新しい演出だったのだろう。前回も舞台も記憶があいまいなので、録画映像を見ないと比較は難しい。
★万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)は、1458年に琉球王国第一尚氏王統の尚泰久王が鋳造させた釣鐘(梵鐘)の、現在沖縄における呼称。
「琉球国は南海の勝地にして、三韓の秀を鍾め、大明を以て輔車となし、日域を以て唇歯となす。此の二の中間に在りて湧出する蓬莱島なり。舟楫を以て万国の津梁となす」という一節は、日本と明国との間にあって海洋貿易国家として栄えた琉球王国の気概を示すものとされている。これは現在沖縄においてこの梵鐘が「万国津梁の鐘」と称されるゆえんである。(Wikipediaより)
を参照:
琉球國者南海勝地而 鍾三韓之秀以大明為
輔車以日域為脣歯在 此ニ中間湧出之蓬莱
嶋也以舟楫為万國之 津梁異産至宝充満十
方刹
輔車以日域為脣歯在 此ニ中間湧出之蓬莱
嶋也以舟楫為万國之 津梁異産至宝充満十
方刹
琉球国は南海の勝地にして
三韓の秀を鍾め、大明を以て輔車となし
日域を以て脣歯となす
此の二者の中間に在りて湧出する所の蓬莱島なり
舟楫を以て万国の津梁となし
異産至宝は十方刹に充満せり
三韓の秀を鍾め、大明を以て輔車となし
日域を以て脣歯となす
此の二者の中間に在りて湧出する所の蓬莱島なり
舟楫を以て万国の津梁となし
異産至宝は十方刹に充満せり
The Kingdom of the Ryukyus is situated in the splendid Location in the south seas.
She look from the splendid culture and civilization of Korea
Relations with Ming China are complementary as if those between the upper jaw and the lower one helping each other.
Relations with Japan are also complementary as if those between the lips and teeth helping each other.
It stands on an enchanted island from the great Mother earth between China and Japan
She uses trade and mission ships as means of bridging all nations.
Everywhere in the Kingdom is filled with foreign products and precious goods.
She look from the splendid culture and civilization of Korea
Relations with Ming China are complementary as if those between the upper jaw and the lower one helping each other.
Relations with Japan are also complementary as if those between the lips and teeth helping each other.
It stands on an enchanted island from the great Mother earth between China and Japan
She uses trade and mission ships as means of bridging all nations.
Everywhere in the Kingdom is filled with foreign products and precious goods.
現代語に訳すると、「琉球国は南概勝地で、三韓の秀をあつめ、中国・日本とも親密な関係にある。この二国の間に沸きいずる蓬莱の島である。船を操って世界の架け橋となり、めずらしい宝は国内に充ち満ちている」という意味で、琉球の交易立国を高らかに宣言しています。
鐘銘文を記したのは相国寺の渓隠(けいいん)という和尚です。
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つまり演出としては、突然焼け落ちた首里城本殿などのショックが2019年にあり、まだ意気消沈している中で、コロナ禍もあり、沖縄の人々を鼓舞する意図が見える。それは良かったのだが、王と妃に唱えさせるのではなく、他の方法もあったのでは~。士族の子供たちが銘文を唱えるとか~。少人数で予算削減で、大掛かりの舞台を成功させるための様々なご苦労があったのは想像できるが、どうも晴れ晴れしない沖縄芝居だった。
それにしてもジラーと神女の思戸金が朝薫に挑むように彼らの恋愛を誇示するところは、現代的です。
「九重の花と ヤンバルの蝶 許さらん恋の 習いや知らね」
と朝薫。
「これも親方の 為どやいびーる 世間はじめての 踊りてしど
恋の物語や あいびらに 御殿や殿内に 見当たらん 恋の姿ゆ
書ちみしょり 踊り物語 創てぃくぃみせーびり」と挑発的である。
しかし士族層と田舎百姓出身の美らジュリの恋は遊里で盛んだった。王府は
官選ジュリ(美女)を薩摩在番に現地妻として供与している。現地妻の羽振りはかなり良かったようだ。琉球の王侯貴族の上に君臨したのが薩摩だったゆえに~。その末裔の家系が沖縄には実在する。
身分の低い百姓と神女の恋はご法度だった。もちろん王府内の神女の恋そのものがご法度だったはずだ。
しかしジラーと別れた後の神女が狂ったようになって登場するする姿は、神女が色恋に狂った娼婦のような雰囲気だった。組踊の子供を失って狂う母親の狂いとは異なる。髪を乱して情愛にのたうちまわる女の姿を舞台化したのだが(過剰にではなく些細に)、気品の中に欲を秘めているのも女の性であり、それは男も変わらないはずだ。仮面と仮面の裏側は相反することもままあることで、大舞台での演技、場面に白けも起こった。オペラだったらそこはアリアで心の苦しみを滔々と歌う。やや近いソロの歌にも思えたが~。でも上原美希子は歌唱力のある舞踊家だね。小柄の身体から響いてくる歌唱は良かった。気品のある姿でのたうつ苦しみを歌ったら良かった。
沖縄芝居は写実的で型がある。型にそった美しい所作がある。
恋の歌はユカッチュに多い。逆に女性の恋の歌は数えるほどしかない琉歌だ。
(以前観た「首里城物語」の印象批評です。その後『「辻遊郭」に見る近代沖縄芸能史研究ー遊郭、ジュリ、芸能ー』に取り組んで、琉球舞踊について調べることになりました。大城立裕さんも演出家の幸喜良秀さんも宜保栄治郎さんの「琉球舞踊入門」の概念にそった解釈です。わたしも疑っていませんでした。しかし足を踏み入れてみて、異なる見解を持つようになりました。)
(つぶやき)
ところで昨今の県会議員選挙で落選した玉城満さんが、なんと宜保栄治郎さんがついていた役職、国立劇場おきなわ常務理事 になったという。そして面白い話は、今年の4月から若い金城真次が国立劇場おきなわの芸術監督のポストに着任するのだが、その次のバトンはなんと玉城満さんの息子玉城匠に内定されているという。(事実?)これから数年、彼は嘉数道彦さんが幸喜良秀さんに養成されたように、将来の芸術監督としての養成の課程に入るということになっているのだろうか。これからあらゆる国立劇場の自主公演には玉城匠が出演することになるのかな~?組踊研修生と共に、「国立劇場おきなわ」の芸術監督も養成される仕組みになっているのは、若い劇場として興味深い。
この「首里城物語」に玉城満さんの息子、匠さんは仁王と共にカミジャー役の下男として出番が多かった。幾分白けた会場で盛んに笑っている一つの集団があったが、おそらく玉城さんの舞踊の流派かその関係者だったのだろう。当人は未来の展望が開けているせいか、意気揚々と演じていたが~、あまり笑えない狂言回しだった。
★沖縄伝統芸能界の噂話はいろいろあるようで、狭い沖縄です。
★国立劇場おきなわの「実演家の座談会」は、30代が中心で50代以上は蹴飛ばされているとか~。なぜかな~?先輩方をうせーているのだろうか?などと思ったりするけど、どなたか、なぜかご存知ですか?