志情(しなさき)の海へ

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風雨が襲う中で見た「志多伯獅子加那志33年忌豊年祭」の『手水の縁』(23:40~0:40)

2011-09-14 09:41:39 | 沖縄演劇
               ([手水の縁]で山戸が手水を求めてこばまれて、川に身を投げるよと脅す求愛の場面)

宮里朝光さんのお話を伺って、出席していた教え子と立ち話をした後八重瀬町「志多伯獅子加那志33年忌豊年祭」に向かった。夜の帳の中、十六夜とは云っても月は雲が顔を隠している。58年ぶりの「手水の縁」の村踊りの型に変化があるのか興味をもった。また野外の三間四方舞台なのかどうか、花道はどうなっているのか、なども興味があった。

【野外の仮設舞台、右側に地謡の小屋があり左側に花道がある。本物の松を利用している】

午後10時過ぎから組踊があります、というのがメールで問い合わせた時の情報だった。プログラムまで送ってくださった神谷さんに感謝!
時間がずれている様子で芝居「桃売りアン小」の終りの場面から見ることになった。むんじゅる、水汲まー小、汗水節、棒術・獅子舞、喜劇「やまーよー」、加那よー天川、松竹梅鶴亀、組踊「多水の縁」、舞方・獅子舞、閉会のあいさつという順序で、演目が31もある!16時の野呂殿内の拝所の祈願から9時間に及ぶ豊年祭である。二日間の豊年祭「中秋の名月」の催しである!

(はじめて見た水汲まー小)

神谷武史さんが「桃売りアン小」の父親の役で出ていた。彼は「加那よー天川」を踊り、そして『手水の縁』の志喜屋の大屋子を重厚に演じていた。おそらく積極的に村踊りを推進する中軸として頑張っているのだという事が伺えた。昨今身体を壊されて国立劇場おきなわの舞台で姿が見えなくてさびしいと思っていたが、やはり色艶のある神谷さんの踊りや演技にはほれぼれしてしまう。

おそらく彼ほど艶のある組踊の按司を演じることができる人はいないのではなかろうか?大田守邦さんの骨太な味わいとも異なる色艶が魅力である。艶というのは例えば80歳の真喜志康忠氏が舞台人として立った時にも感じさせた独特な色気である。色艶は人間の情の部分と係わるのかどうか、実存の総べてがそこにかもし出されるのだろう。色艶は滲みでてくる情感のようなものかもしれない。

この58年ぶりに復活した『手水の縁』に新しい型があったかというと特別ない。芸大出身の女性お二人が山戸と玉津を演じた。声も所作も粋も三間四方の舞台でうまく演じきった。唱え切ったと言った方がいいのだろうか?仮設の三間四方の舞台と実際の松が植えられた花道の雰囲気がいいと思った。神谷さんの大屋子はもちろん色艶のあるいい男に見えた。

写真を紹介したいと思う。村々の豊年祭、村踊りの面白さがある。久々に神谷武史さんの舞台映えする姿に魅了された!風雨の中で最後まで残って舞台を見ていたみなさんは志多伯に住んでいる方々だけではない様子だった。高教組で『執心鐘入』などの地揺を務めたという辺野古出身で今は南風原に住んでおられるという島袋さんという方がご一緒でテントの中で風雨を避けながら少しお話した。神谷武史さんは糸満高校での教え子だと話していた。以前宮里XXさんはお一人でこの『手水の縁』の地揺をしたことがあり、凄い人だとお話していた。「志多伯の地揺はうまい」と、おっしゃった。

新聞では200年ぶりの「からくり旗頭」の写真が大きく掲載されていた。昨今、歴史の捉え返しがこのような地域の民俗芸能・村踊・豊年祭からも伺える気がしている。首里王府の衰亡から132年目の今日、新たに近代から現代に至る沖縄の歴史・文化の経緯を反芻する時期に来ているのかもしれない。

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