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(3月28日、東京へ、初めてANAの二階席の窓際に坐した、春休みで満席)
生きるために時勢の波に乗るため人は必至に生きる。それが
現実だけれども、でもね、そうでもね、でも、でも、でもと
デモ鶏が啼く
罪滅ぼしだったのかもしれないね
性急に『組踊』を国指定文化財にしたのも罪滅ぼしだったのか?!
文化庁が頑張ったのだという声が聞こえてくるのも
それを肯定的に受け取れる一方で、全くゆらゆらとして固まっていなかった
組踊を性急に固定化する方向性にそれも幾分いいかげんな曖昧さと共に
方向づけられたという歴史の現在、
伝統組踊保持者から国宝の方でさえ誕生
それらの一連の流れを生活=政治=文化の視点からどう見えてくるのだろうか?
新しい、解釈はどうも彼方からやってくる気配もしている。
そして?相も変わらずXX族はそこにいて、
やれやれ、人生やれやれで終わりたくないが、
それでもやれやれと呟きたくなる!
やれやれ
やれやれ
やれやれ
やれやれ
やれやれ
やれやれ
厳しい!
モメント
誰かが
遠くから
エールを送っている
と
信じていよう
そういえば私の白鷺さんは
どうしているのだろうか?
生きていても言葉が交わせない
黒鷺さんもいる
生きている不幸せ
生きている幸せ
生きている!
永遠の死
が
永遠の
生ならば
永死永生
自我の輝きだけが
人生さ
と
嘯いて
そして?!