以下は毎日新聞からの転載です!
沖縄では『マクベス』が上演されました。津嘉山正種さんがマクベスで栗原小巻さんがマクベス夫人でしたね。あれから沖縄の現代演劇へのシェイクスピアの影響はどう変わっただろうか?
演出家としてはじめて文化勲章ですね。果敢にシェイクスピアに挑戦され本場イギリスで凱旋したのは凄いですね。ビジュアルなイメージが凄かったですね!日本の文化と西欧をコラボした演出は先駆者として評価されているのですね。哀悼!
世界のニナガワ”として国際的にも高く評価された舞台演出家で、文化勲章受章者の蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)さんが12日、死去した。80歳。
埼玉県川口市生まれ。開成学園(現開成高)を卒業。画家を志したが、安部公房の「制服」を見たのがきっかけで1955年、劇団青俳に俳優として入団。アングラ全盛期の68年、青俳仲間の蟹江敬三さん、後に夫人となる真山知子さんらと劇団現代人劇場を創立。69年、清水邦夫さん作の「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビューした。
74年、日生劇場の「ロミオとジュリエット」演出で初の大劇場進出。以降、活躍の場を商業演劇に移し、「近松心中物語」など日本の戯曲からギリシャ悲劇、シェークスピアなど古今東西にわたる延べ約300作品を手がけた。
劇場空間を埋め尽くす大胆で豊かな詩的イメージに満ちた視覚的な世界は、国境を超えて多くの観客を魅了。稽古(けいこ)場では怒声とともに灰皿が飛ぶという、妥協を許さない厳しい姿勢で知られた。
79年の菊田一夫演劇賞をはじめ97、2001年の読売演劇大賞最優秀演出家賞、00年毎日芸術賞など受賞多数。04年文化功労者、10年文化勲章。彩の国さいたま芸術劇場芸術監督。映画「蛇にピアス」やテレビドラマの監督もつとめた。
著書に「反逆とクリエイション」「千の目千のナイフ」など。長女は写真家の蜷川実花さん。
心臓のバイパス手術や肺炎による入院など、体調を崩しながらも、年間約10本もの作品を手がけるという多忙さは最後まで変わらなかった。16年2月からは蜷川さん自身の半生をモチーフにした新作舞台「蜷の綿」を演出予定だったが、病気療養のため延期されていた。5月25日にはシェークスピア作品「尺には尺を」の初日を控えていた。
**********
埼玉の方のブログに生い立ちが詳しい!
氏の中にはラディカルなものが潜んでいたのですね。優れた演劇人の感性の中に普遍的に根本的に真実を本質を見据え、切開し、抉りださんとするパッションがあり続けるのですね。