志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

侏の「」の漢字を外字エディターで作成できた!

2016-06-23 17:27:15 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

 (どうもベランダにいたのは白頭です!害鳥?でもピィピィピピピピと独特のリズムで鳴いています!)

今までできないと思っていた漢字の造語ができた!ちょっと時間がかかったけれどできた喜びは大きい!ワードを使いこなせていないと、思う。Googleさんありがとうですね。

論文の中でも漢字表にない侏の「」の字をそのまま空欄にしていた。それが今日、挑戦してみたら時間がかかったけれど、できた!漢字一覧にない漢字の造語ができるということをなぜ今まで気がつかなかったのか、と我ながら情けないが、できないとばかり思っていたのである。というか「表一覧」に出てこないので使えないと思い込んでいたのが悔やまれる。

琉球の傾城、妓女、土妓、娼妓、芸妓、遊女、そして近代に文字化された中で登場した恐るべき漢字「尾類」=ジュリである。文字文化が大衆化していったのは近代以降である。つまり士族層だけが享受していた文字に大衆が教育によってアクセスして文字を読む文化が始まった明治12年以降に何が起こったのか?娼妓・芸妓でもなく、ジュリを動物扱いした「尾類」の登場である。沖縄社会の差別の凄さが感じられる。「尾類」を人間扱いしていないのである。しかし彼女たちを一方で芸妓=ギリシャのヘタイラになぞらえた伊波でもあった。

それを拡散したのが太田朝敷などが始めた『琉球新報』である。ジュリを尾類と漢字で書いて拡散したのである。それを沖縄学の権威の伊波普猷が『沖縄女性史』の中の「尾類の歴史」でさらに強固なイメージ化をしてしまった。伊波の功罪だけれどもー。伊波は辻に異母弟と妹ができたのだが、おそらく娼妓・芸妓で父親の詰めジュリの女性に敵意をもったこともあったのだろうか?氏の辻の弟、妹の人生はどうなったのだろうか?まだまだ見えない伊波普猷の家族の姿である。奥さんや子供達のことも詳細は記載されていないね。冬子さんは歌人だったので歌が残されているが。妻であった女性とその父母や子供たちの人生の行方、愛人と沖縄を振り捨てた父親の姿などをどう見ていたのか?など、曖昧模糊だね。

ジェンダー的視点、つまり弱者だった者たちの視点からどう見えるかだろうか?いずれにしろ書類の作成と論文の修正が「侏」の造語で心おだやかになった。侏は芸をする者たちの意味だが「ジュリ=侏」の公式は必ずしも成り立たない。浅香怜子さんはあえて「ジュリ=侏」にしているが、ジュリはジュリ・ゾリの音韻記号のカタカナでいいと考えている。伊波普猷のおかげで柳田も折口も尾類を使っているね。それでいいのだろうか?近世に「尾類」はなかった。近代に登場したこの漢字は極めて沖縄的だが、沖縄の荒びだといえる。妓楼のアンマーたち=貸座敷はほとんどが娼妓や芸妓だった。彼女たちはヒエラルキーの下層に位置づけられたが、昨今の「ヘタラルキー」からするとどうだったのだろうか?境域、境界、コンタクト・ゾーンと言葉の表象は様々だがいつでもそうした周辺、秩序や体制の境界は存在してきたのも人類史の真実だね。

侏の「」が自由に使えて良かった!

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