やはり梅雨時の石垣に白い小花をつけるユキノシタ。
湿っぽくれ暗い裏庭に生えるので、こどもの頃は好きになれなかった花だった。この花が集まって咲くと、この写真のように決して暗くないことがわかった。数本を小瓶に活けてもいい感じになる。
ユキノシタの仲間に、ダイモンジソウやシコタンソウがある。苦しい登山道であうとほっとする花。山を歩くようになってユキノシタの仲間に愛着を持つようになった。
湿っぽくれ暗い裏庭に生えるので、こどもの頃は好きになれなかった花だった。この花が集まって咲くと、この写真のように決して暗くないことがわかった。数本を小瓶に活けてもいい感じになる。
ユキノシタの仲間に、ダイモンジソウやシコタンソウがある。苦しい登山道であうとほっとする花。山を歩くようになってユキノシタの仲間に愛着を持つようになった。
昔から郷土に根付いて残ってきた木曾の「すんき漬け」にいろんな関連商品ができました。5種類だけ買ってきました。きっと美味しいと期待しています。
右側から、すんき漬け、ふりかけ茶漬け、すんきドレッシング、すんきがゆ、すんきカレー
<すんきがゆの説明書>
木曾伝統の味「すんき」のまろやかな酸味がおいしい、おなかにやさしいお粥です。
「すんき」は塩をまったく使わず、かぶ菜を乳酸発酵させた木曾独特の伝統食品です。植物性乳酸菌をたっぷり含み「長野県味の文化財」インターナショナル・スローフード協会「味の箱舟」に指定されている注目の食品です。
http://www.kiso-shop.jp
右側から、すんき漬け、ふりかけ茶漬け、すんきドレッシング、すんきがゆ、すんきカレー
<すんきがゆの説明書>
木曾伝統の味「すんき」のまろやかな酸味がおいしい、おなかにやさしいお粥です。
「すんき」は塩をまったく使わず、かぶ菜を乳酸発酵させた木曾独特の伝統食品です。植物性乳酸菌をたっぷり含み「長野県味の文化財」インターナショナル・スローフード協会「味の箱舟」に指定されている注目の食品です。
http://www.kiso-shop.jp
いま木曾はほう葉巻きのシーズンです。
米粉や蕎麦粉で作った団子にあんこを入れ、ほうの葉で包んだ郷土食です。これはつぶあんとこしあんの2種。そのほか胡桃あんや味噌あんなど。実家の近くの道の駅「日義木曽駒高原」で買ってきました。
母が作ったほう葉巻きはこれよりもっと大きかった。私もそろそろ自分で作らないとね。
昨日木曾へ行ってきました。
入院していた兄が外出できるようになりました。家でゆっくり風呂に入りたいと、うれしい変化です。
塩の道歩きのお土産
この店の一番人気だという酒です。試飲して“辛口の酒で美味しい”?というのが私の判定。
「加賀の井」純米吟醸 原酒 新潟最古の酒蔵
越後の国糸魚川は加賀街道(北陸道)に位置し、加賀百万石前田公の参勤交代の宿場町であった。加賀の井酒造の創業は慶安3年(1650年)加賀の井という酒銘は利常公の命名とされる。
この店の一番人気だという酒です。試飲して“辛口の酒で美味しい”?というのが私の判定。
「加賀の井」純米吟醸 原酒 新潟最古の酒蔵
越後の国糸魚川は加賀街道(北陸道)に位置し、加賀百万石前田公の参勤交代の宿場町であった。加賀の井酒造の創業は慶安3年(1650年)加賀の井という酒銘は利常公の命名とされる。
塩の道千国街道(松本街道)は「北国街道」現在の北陸道に突き当たったところが終点です。松本から120km、二泊3日を3回で完歩しました。私は2回目の木崎湖からの参加でしたが、10人の皆さんは完全走破でした。
それから海岸に出てみました。その風景に私は“がっかり!”
大きなコンクリートの塊・テトラポットが累々と、どっちを向いてもどこまでも・・。
「糸魚川の海・新潟のうみ」というのは“海なし県”の信州人にとって特別な想いがあるのです。
息子たちがこどもだったころ、夏になると職場毎にバス1台を借り切って海水浴に繰り出したものでした。波が強いので、海に入るのは泳ぎの上手な大人だけ、こどもたちはひたすら波打ち際で穴掘り、お砂遊び、西瓜割り。夜には花火と・・。
あの砂浜はどこに行ってしまったのでしょう。
それから海岸に出てみました。その風景に私は“がっかり!”
大きなコンクリートの塊・テトラポットが累々と、どっちを向いてもどこまでも・・。
「糸魚川の海・新潟のうみ」というのは“海なし県”の信州人にとって特別な想いがあるのです。
息子たちがこどもだったころ、夏になると職場毎にバス1台を借り切って海水浴に繰り出したものでした。波が強いので、海に入るのは泳ぎの上手な大人だけ、こどもたちはひたすら波打ち際で穴掘り、お砂遊び、西瓜割り。夜には花火と・・。
あの砂浜はどこに行ってしまったのでしょう。
海~山へと牛馬とともに重い荷物を運んだ歴史を忘れないでほしいという願いから立てられた石像「歩荷像」 塩の俵を背負い、その上にはブリ・鰤が1匹。杖は“ニズン棒(荷杖)”といい、休む時は重い俵を支えた。
信州松本への荷物は国鉄大糸線が通るまですべて牛馬と人の背によって搬送された。降雪期、5メートル以上の豪雪地帯では牛に頼ることができない。根知や大野の大勢の男衆が駄賃稼ぎに歩荷・ボッカに出たのだった。
信州松本への荷物は国鉄大糸線が通るまですべて牛馬と人の背によって搬送された。降雪期、5メートル以上の豪雪地帯では牛に頼ることができない。根知や大野の大勢の男衆が駄賃稼ぎに歩荷・ボッカに出たのだった。
この3日間は雲が多い空の下を歩いてきた。糸魚川に下り、「のぞき戸」付近から信州側を振り返ると雪の残った白馬蓮華岳~白馬岳が見えた!
白馬の本峰はどれかしら?いつもとちがう反対側から見ると、分からなくなってしまった。
白馬の本峰はどれかしら?いつもとちがう反対側から見ると、分からなくなってしまった。
信州の山の中にも少なくなったと聞いていた「ササユリ」が峠の下り道の所々に1本づつ咲いていた。細い茎が大きな花を支えているさまは健気におもう。こんな道端に咲いていて大丈夫かしらと心配になった。きっと土地の人たちが守っていてくれるのだろう。
「ササユリ・ほう葉・塩むすび・田植え」というキーワードで私は子供の頃に帰ってしまいます。
「ササユリ・ほう葉・塩むすび・田植え」というキーワードで私は子供の頃に帰ってしまいます。
戸倉山の山麓にある静かな池。サンショウウオを見つけ喜んでいた方がいました。昔から根知谷の灌漑用水として重要な役割を担っていたという。
この山並みは日本海から信州に吹きつける冷たい風が豪雪に変わるところ。文政7年1824年,大きな雪崩に22人が飲み込まれたというボッカ宿の址が遺されていた。きっと多くの馬や牛も一緒だったろう。
この山並みは日本海から信州に吹きつける冷たい風が豪雪に変わるところ。文政7年1824年,大きな雪崩に22人が飲み込まれたというボッカ宿の址が遺されていた。きっと多くの馬や牛も一緒だったろう。