ねもばーばのはっぴーらいふ

バーバの山歩き、花めぐり

ボランティアグループ「ぼうしの会」の紹介

2012年12月12日 | ボランティア

信州大学医学部付属病院ボランティア「ぼうしの会」のグループがいま、外来棟と病棟を結ぶ廊下で普段の活動を紹介している。タオルで帽子を作って頭部の手術後の患者さんや化学療法中のがん患者さんなどに提供して喜ばれている。

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12月12日(水)今日の常念岳は

2012年12月12日 | 信州

信大病院外来棟から見たアルプスは盆地に霧が張り、空には薄雲。

午後、ボランティアが終わって展望レストランで食事をするころには、雲が上がりきれいな常念山脈が見えるようになった。最近のお天気で積雪がつづき、常念岳は真っ白になった。

悪天候が続く時、雪山の登山はやっぱりリスクが高い。危険だ。南アルプスの仙丈岳などで遭難事故のニュースが続いている。

「北朝鮮のミサイル発射!」については、帰宅してから知った・・・・。20世紀は戦争の世紀だった。第2次世界大戦の最中に生まれた私たち ”21世紀は戦争のない世紀に”なる”明るい世紀になる”ということを信じたかった・・人間はいつになったら利口になるんだろうか?

 

 

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12月12日(水)凍みる朝・からっ凍み

2012年12月12日 | 信州

朝、8時、我が家の車庫は屋根がないので、出かけようとしてもこのとおり。ポットにぬるま湯を汲んできて、窓にかける。そのままにしておくと再び凍ることも。

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12月11日;寒さ対策はいろいろ

2012年12月11日 | 信州

写真はボランティア先の病院の玄関風景。今朝はこんな大きな看板が出現していた。外来間患者にノロウィルスによる感染性胃腸炎の患者さんが増えていて、病棟の入院患者さんに及ばないようにというひとつの水際作戦だ。

私は今日インフルエンザの予防接種をしてもらった。

ボランティアとしては、この時期は花がまったく無くなってしまうことも悩みのひとつ。しばらくはこんなドライフラワーでしのいでいる。

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12月11日(火)今日の浅間山

2012年12月11日 | 信州

三才山を越えて上田に出ると、このとおり晴れていた。

 

 午後に帰るときは雲が少し離れて噴火丘の縞々がきれいに見えた。1週間前よりさらに雪が着き,白さが増していた。

 

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12月11日(火)今日の常念岳

2012年12月11日 | 信州

朝は-6℃。ウオーキングはサボった・・・

朝、居間の暖房は炬燵だけでよかったが、ついに2日前からエアコンもつけるようになった。

今年は夏の間、節電を意識してエアコンを使わないで過したが、こう寒いとそれができない。

8:30 三才山峠を越えて、ボランティアに向かった。標高900m山の神橋から。常念山脈は終日、雲の中だった。

下の写真;午後、松本への帰り、鹿教湯大橋を渡っている。ここ標高1000m付近も雪は日陰にあるだけ。長野県は北部は大雪だが、中部~南部はまだ雪が少ない。

 

 

 

 

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12月10日(月)真冬日

2012年12月10日 | 信州

今日は非常に寒い日で、多分一日中零下だったと思います。

信州の北部は積雪70cmと!でもここ松本はこの程度でした。あまり雪が降らなくて冷え込みだけ強い、こんな日は“今日はから凍みだね”といいます。

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12月9日(日)晴れたり 雪が舞ったり

2012年12月10日 | 信州

昨日は日曜日、-3℃と冷え込んでいたので8時少し前に20分ほど歩いた。

久しぶりに帰省した息子どのとゆっくり朝食。その後木曾へ向った。先週も顔を見てきたが、今回は長男を伴って見舞うことにした。洗馬辺りから雪が舞い始めた。息子は「雪道は自信がないけどなあ」と運転してくれたが、雪のふり方は心配したほどでもなかった。

わが息子たちは幼くして父親を亡くしているので、小さな甥たちを兄たちは何かと気使ってくれた。その甥もおかげさまで今は40男になっているが・・・たまに帰省した時くらいは顔を見せて喜んでもらわなければ、申し訳ないのだ。久しぶりの叔父と甥の対話は思うように弾まなかったが、兄たちはそれぞれに喜んでくれたように思う。

遅い昼飯は老舗の蕎麦屋「くるまや」でかけそばを食べた。「ここんちのすんきも食べてみようか」と注文した。そばもすんきも美味しかった。

松本に帰って見ると市街地は日が射していたが、山際や安曇野方面は雪雲が張っていた。

一休みし、夕食はお歳暮に頂戴したお肉ですき焼きを堪能し、その後は再び“すんきそば”となった。お腹をいっぱいにした長男はいつもの最終便で東京へ帰っていった。盆も暮れもない仕事に就いているが、いまは働き盛り、仕事があることに感謝して頑張れ!

 

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12月7日(金)今日の浅間山

2012年12月08日 | 日本百名山

上田市丸子、和子から。今日はきれいに晴れていた。

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12月7日;nemobabaは遂に古希!

2012年12月07日 | ウオーキング

写真は孫娘から届いたおしゃれなかわいいブーケ

 今日は70才最初の日、特別な日だから歩きたかった。今朝はマイナス4℃と顔が痛くなるほど寒気が厳しかった。美ヶ原~鉢伏山など東山はこのように晴れていた。西山も朝は晴れれていた。城山からのぞいている常念岳も晴れていた。今日は三才山を越えるからいつもの山の神で撮ろうと・・・朝は撮らなかった。でも9時、標高900mの山の神では雲の中・・・

夕方、ここまでブログを書き始めたところでテレビが騒々しくなった・・緊急情報!震度7,3の地震発生! しばらく書くことを中止し地震情報に釘付け・・・

19時30分;警報解除された。楽しみに待っていた「撮るしん」が予定通り放送された。

21時から23時まで、武石の友人から立派な蕪菜をもらってきたので、今夜も再び「すんき」と「赤蕪」の漬物作業に精を出した。

 

「古希」 杜甫の詩の一節で「人生七十古来稀なり」から。杜甫は8世紀の人。13世紀前は70才も生きるのは稀だったんだ。古希とは数え年で70才というから、1年前に古希を迎えたわけで、正確には「古希を終了しました!」ということだった。

昭和17年(1942年)12月7日は太平洋戦争の最中。貧しい時にこの丈夫な体に育ててくれた親に感謝したい。祖父は83歳、父は79歳、母は86歳まで生きた。私もそのくらいは元気でいたい。まず、これからの10年間を頑張ろうと思う。

孫娘からはメールで「ばあば、お誕生日おめでとう!」 次男からは「これからもどんどん活動してください」と、山用のズボンと毛糸の帽子が届いた。長男は明日久しぶりに顔を見せてくれるという。

 

 

 

 

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12月2日(日)木曾へ そして漬物作業

2012年12月03日 | 信州

金曜日の晩は、浅間温泉で、あるOB会の泊りがけの宴会。恒例の女性だけの会。1年分のおしゃべりが続くので、私はもっぱら聞き役。朝風呂はホテルおもとの展望風呂と露天風呂、鉢盛山~鉢伏山~大滝・蝶が岳と毎度のことながら常念山脈の素晴しい朝焼けを眺め、皆で褒め称えたのでした。

そして朝は旅館の美味しいごはんを頂き、そこから家に戻らず、木曾へ向かった。いつものように兄たちを見舞って、次兄を乗せ開田高原ドライブへ。

 

義姉から「すんきの種」をもらって帰り、畑に入って蕪菜を抜き、洗って、すんきと蕪漬けを一気にこなした。そうこうしているうちに、今日の零時になってしまった。

腰が冷えてしまったので風呂に入り、温まったところで寝よう思ったが、何日間かブログを更新してないことが気になったので、とりあえず写真を貼り付けて寝ることにした。オヤスミナサイ

 

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