2 2021-07-25 09:12:22 | 世界経済 縄文時代、これもよく分からないのではあるまいか、明治以来の、この国の国立大学、中央政府の方針に忠実だった、あの柳田国男 1875〜1962、大正天皇の大嘗祭に礼服で参列している、しかし、日記には、その日、焚火のケムリを見たコトを記している。 そんな大切な日にケムリを出すのは、この列島の漂泊民の一味にマチガイないということ、それが、 「柳田のムネに突き刺さった生涯の疑問であった」 徳川家の始祖・徳阿弥も、正体不明の漂泊民であった。