1868年(明治元年)に生まれた 原三渓の人生は
近代日本の歩み そのものでしょう
長い鎖国の眠りから目覚めた日本は
西欧諸国と対等になる為 産業や文化の近代化を 急ぎました
貿易の最大の輸出品は 生糸
三渓は 生糸貿易のみならず 製糸業にも進出
官営から原家の所有になった 富岡製糸場(群馬)は 今でも残り
世界遺産への登録運動が進められているそうです
絵画や文学の上でも 後援者として 惜しみなく力と私財を注いだ 三渓・・・
1929年(昭和4年)の世界大恐慌後
生糸は 主要産業から外れ 時代は大きな変化をみせます
戦争へと 傾れこんでいく日本を見ながら
世界へ開けた目を持つ三渓は 日本の将来をどのように想ったでしょう?
1939年(昭和14年) 太平洋戦争が始まるちょうど2年前 三渓は亡くなりました
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今回 17棟の古建築が公開されました
私が訪れたのは3棟のみ
また いずれ 他の建物も 観てみたいと思っています
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日本の近代化の礎を築いたのですね。
日本史には全く疎い私ですので、随分勉強になりました。
MONAさんの行かれるところは、丁寧に説明していただけるので助かります。
有難うございました。
美しいですね。
見せていただき、心癒されました。
明治元年に生まれた 原三渓の人生は 近代日本の歩み そのもの、・・・・・・。
詳しい説明でよく分かりました。
ご紹介、ありがとうございました。
すごいとしか言いようがないほど
自分の無力を感じますが・・
人にはいろいろな役目があって・・
私等はすごいと感嘆するだけの役目(爆)
できることなら・・人のために役立ちたいと
考えるのは同じでやってることは小さいですが
夢は同じかも(大げさかも)
昨今の財界人、企業人は、政治家同様に自分のことばかり。
どの分野も、小振りの人間が多くなりました。
学校で勉強した時は、アクビが出たのですが
こうして自分の足で見た事は、面白いです。
地元の横浜の事なのに、最近になって知った事ばかりです。
華やかに見える一生も、たくさんのものを背負い・・・大変だったと思います。
でも、それを成し遂げる器量を持っていらしたのね。
評価されるのは、すーっと後になってから。
ぱふぱふさんも、きっと同じ。
安逸を求めて、生命力が弱まってきてるかも。
人も国も。
こうも綺麗に咲くモノなんですか??
こういうシーンに出合ったことがなくて・・・
管理者が出来てるのでしょうか??
小豆島にもきっと睡蓮があると思うけど・・・
よく個人のお庭でも、鉢に睡蓮を育てている方がいるわ。
苗を取り寄せて、roseさんが育てる事も出来る筈。
難しくないと思う。