のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

今まで知らなかった、日本画家≪川合玉堂氏≫の素晴らしさ

2013-07-11 23:23:20 | 日記

 「川合玉堂」の名まえは知ってはいた。

 彼の日本画も見たことはあると思う。

 ただその時は、その優しい絵に、大して心を動かされることもなく、見過ごしてしまっていたように思う。

 

 先々週の「日曜美術館」でその川合玉堂氏が取り上げられ、それを見たことで、私の彼に対する見方は一変した。

 日本のどこにでもありそうな懐かしい風景、その中で生きるごく普通のありふれた人々。

 両者に寄せる、玉堂氏の、深い深い愛!

 玉堂氏のどの絵にも、根底に、その愛が、静かに貫かれ流れている。

 (以下、順不同ですが、彼のそんな絵を、何枚か載せます。)

      

            峰の夕 (昭10)                              遠来麦秋 (昭27)

 

       

            夏川 (昭28)                               渡所春暁 (昭13)

 

         

           二重石門 (昭27)                               二日月 (明治40) 

 

 

 上の絵とともに、私が玉堂氏の素晴らしさを更に強く感じたのは、戦時下に彼が描かれた絵を見たときだった。

 昭和18年、第二次世界大戦に突入した後の困難な時代に描かれた、「山雨一過」。

 写真が小さすぎて分かりにくいが、この絵からは、戦争の難局を乗り越えて生き抜くのだいう彼の決意と、国民へのエールのようなものが感じられる。

              

 

 しかし戦況は悪化し、画家たちにも“戦意高揚”の絵を描くことが強要される。

          

 

 多くの画家が、あからさまに戦争協力の絵を描いていくなかで、玉堂氏が描かれたのは、下の「荒海」(昭19)。

           

 

 この絵には、いわれなき戦で傷つく日本の国土と、その中で生きる人々の、哀しみと苦しみが表現されているように思う。

 そして、それに決して負けまいとする強さも!

 

 彼は、学業半ばで出陣することになった若者にも、絵を送って励まされた。

 「虎は、千里行って千里帰る」の言葉とともに、若者に送られた「虎」の絵。

             

 

 しかし戦況は更に悪化し、東京大空襲で彼が長らく住まっておられた家も消失する。

 失意の中、疎開先で描かれた絵は、のどかな「早乙女」の絵(昭20)。

 そこには、戦争でいかに傷つけられようとも、日本の美しい国土と庶民の営みは決して消滅なんかしない!という彼の強いメッセージが感じられる。

                

 

 

 晩年近くなっての、彼の言葉。

    「自分は生涯好きな絵を描き続けることができて、大変幸せだった。

       ただ残念なのは、有名になりすぎてしまって、絵を描く時間が少なくなってしまったことだ。 

       もっと沢山の絵が描けたのに‥。 もっと沢山の人に絵を差し上げる事ができたのに‥。」

 

 玉堂氏の絶筆・「出船」(昭32)

              

 

 彼はこの絵を病床で描き、最後の治療をしてくれた医師に捧げて、しずかに83年の生涯を閉じられた。

 

 彼の、国土とそこに生きる人々への、力みのない、深くて強い愛!

 国土を愛し、民を愛するとは、こういうことだ、とつくづく思う。

 声高に愛国を叫ぶ今の政治家に、玉堂氏の絵をじっくり見て、考え直してほしいものだと、強く願う。