比較的最近のテレビで、私は、二人の素晴らしい写真家の存在を知った。
一人は、7月6日のNHKスペシャル「足元の小宇宙」に登場された、植物写真家の埴沙萌(はに・しゃぼう)さん、82歳。
もう一人は、7月13日の「映像ファイル」≪あの人に会いたい≫に登場された、東松照明(とうまつ・しょうめい)さんだ。
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先ずは、埴沙萌(はに・しゃぼう)さんから。
彼はもとは植物の研究者で、研究のために写真を撮っておられたのだそうだ。
しかし彼は次第に、レンズの中で植物たちが見せる、さまざまな≪生命(いのち)の輝き・躍動≫そのものに、強く惹かれていかれる。
そして、その≪生命の躍動≫を、自らの写真でなんとか表現したいと、40歳で植物写真家に転身された。
しかも、彼が見つめられるのは、ごく身近な≪足元の世界≫であり、彼の心を惹きつけるのは、身近な草花たちの≪いのちの輝き≫なのだ。
82歳の彼が、少年のような純粋さで植物たちを見つめ、嬉々としてシャッターを押していかれる姿は、見ている私をも幸せな気持ちにさせてくれた。
長い間坐骨神経痛を患っておられる沙萌氏にとって、撮影は決して楽な作業とは言えないはずなのに、彼は本当に楽しそう!
それほどに彼は、植物たちが見せる≪いのちの輝き≫に心揺さぶられ、そのことによって、彼自身も輝いておられるのだ。
次に、そんな彼の、魅力的な写真の数々を、紹介します。
先ずは、「シイタケの胞子のダンス」と、「ツクシの胞子のダンス」。
シイタケやツクシが、こんなふうに胞子を出しているなんて、そのこと自体が私には驚きだった。
「ヒノキの芽生えと「ススキの種の旅立ち」
「タンポポと青空」と「ハートの芽生え(ホウレンソウ)」
「カエル」
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沙萌氏の活動は、長い間、妻の雅子さんによって支えられてきたが、彼女自身もまた、「野菜人形作家」という芸術家なのだそうだ。
彼女は、植物の特徴を生かして、とってもユニークな作品を創っておられる。
数ある作品の中から、ここでは、「子守」と「ペンギン」、「キリン」を紹介します。(写真は、沙萌氏)
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ふたたび沙萌氏に戻って‥彼が特に力を入れておられる、「草花と水玉が織りなす世界」。
この水玉は、(雨粒や露ではなく)植物が根から吸収した余分な水分を、自ら排出するものなのだそうだ。
そんなことも、沙萌氏の説明で初めて知った。
次は、カテンソウの雄しべと、雄しべが花粉を飛ばすさま。
カテンソウの花は地味で、昆虫に受粉を助けてもらうこともできず、自ら雄しべがはじけて、花粉をできるだけ遠くに飛ばすのだそうだ。
それを沙萌氏は「ピッチングマシーン」と呼ばれている。
前述の「草花と水玉の織り成す世界」の中で、沙萌氏が最も好きなのは、ワレモコウの葉っぱに沁み出た水滴なのだそうだ。
それを彼は、「ビーズのネックレス」とも「夏の夜の宝石」とも表現されている。
ツリフネソウの花と、ツリフネソウの鞘がはじけて種が飛び出す瞬間。
最後に、カラスウリの花。
初めは固い花が大きく開いて、妖艶な姿に変化していく。
彼はその姿を「レースのドレスを纏ったみたい」と言われている。
沙萌氏の写真の素晴らしさは言うまでもないが、同時に彼は、なかなかの詩人でもある。
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次は、二人目の写真家・東松照明(とうまつ・しょうめい)さんについて。
彼は昭和5年の生まれ。
戦争の中で少年時代を過ごされた。
戦後(昭和25年)大学に入られた彼は、真実を写し取る写真に興味を持たれ、写真部に入部される。
その彼の最初の作品が、「皮肉な誕生」(1950年)。〈下の写真・左〉
英字新聞の中から突き出された手と卵‥。
それは、戦後日本が、アメリカに占領された中で出発せざるを得なかったという現実の表現なのだそうだ。
その後写真家となられた後も、彼のカメラは、日本の現実の姿を厳しく追っていく。
写真・右下が、基地の街を象徴的に表現した、「岩国」(1960年)
「少年」(1952年)と、「波照間島」(1971年)
「浦上天主堂の天使像」(1961年)と、「大神島」(1969年)
東松氏はインタビューに答えて、自らの信念をこう語られている。
「日本には昔から語り部という人がいました。現代の語り部として、“人間が決して忘れてはならないこと” “人間がしてはいけないこと”を、語り継いで
いきたい」と。
彼はその信念を貫いて、被爆地・長崎、沖縄で、写真を撮り続けられ、2012年、82歳で逝去された。
埴沙萌氏と、東松照明氏。
2人の写真家がカメラを向けられる対象は、真逆に近い。
でも私は、どちらの写真家にも、強い尊敬の気持ちを抱く。
それは、2人の写真家がともに、「生」を、真正面からとらえようとされているからだ。
沙萌氏の、植物たちの「生命の輝き」をとらえたあたたかい写真と、東松氏の、人間の生き様・現実を真摯にとらえた、どちらかと言うと重い写真。
どちらも、とても魅力的だ!