今年の≪5月15日≫も、ずい分前になってしまいましたが、その日について、やはり書き留めておくことにしたいと思います。
★ 一つ目の≪五・一五≫は、1932(昭和7)年、総理大臣<犬養毅>が、海軍青年将校の凶弾によって暗殺された、その
<日>です。
いわゆる≪五・一五事件≫として歴史上も明記される日であり、この事件を境に、日本では軍部が抬頭し、日本が戦争への道を
突き進むことになった<日>です。
現在の日本でも、平和憲法の存在を忘れたかのような大幅な軍備の増強が、人目もはばからぬ勢いで行われています。
そんな日本の状況を考えるとき、≪五・一五事件≫の教訓を、私たちは改めてしっかりと胸に刻まねばならないと思います。
それに加えて、5月15日に放映された『歴史秘話ヒストリア』で、私は新たに“もう一つの五・一五事件”の存在を知り、唖然とし
ました。
“もう一つの五・一五事件”とは、その前日来日することになっていた<喜劇王・チャップリン>の暗殺計画が、やはり青年将校に
よって企てられていたということでした。
当時チャップリンは、世界の喜劇王として、押しも押されもせぬ存在でした。
しかし、彼は当時アメリカ国籍を有し、あらゆる軍国主義に反対して、自らを<世界市民>と名乗る自由人でした。
アジアへの侵略を企図し、それに反対するアメリカとの対立が顕在化していた当時の日本(の軍部)にあっては、チャップリンも
また、排除されるべき人間の一人だったのです。
しかしその暗殺計画は、偶然の事情によって実行されることなく終わったのですが、当時の軍部が、チャップリンのような世界的
な映画人・文化人に対してまで、一時的であれ、その抹殺を企てたことは、忘れてはならない恐るべき事だと思います。
そのチャップリンについて、番組は、今まで私の知らなかったことをいろいろ教えてくれました。
その一つは、当時のチャップリンの付き人というか友人に、日本人の<高野虎市>という人がいたことです。
左…チャップリン、右…高野虎市
高野虎市氏は、15歳のとき移民として渡米し、ひょんなことからチャップリンの(初めは)運転手になったそうです。
そして高野氏の人柄・能力は次第にチャップリンを惹きつけ、氏はチャップリンにとって無くてはならない存在になっていきました。
しかし当時アメリカでは日本人に対する蔑視や反感が強く、高野氏を大事にするチャップリンに対して批判する動きが強かったの
だそうです。
でもチャップリンはそんな世間の動きにも動じることなく、高野氏を大切にし続けたそうです。
まさに<世界市民>の面目躍如たるものがあります。
そのチャップリンがある時嬉しそうに高野氏に告げます。 「しばらく仕事を休んで旅に出よう!」と。
彼は、「まず生まれ故郷のイギリスに帰り、その後ヨーロッパを巡り、最後は君の祖国・日本に行こう!」と言うのです。
高野氏は喜んでチャップリンと旅を共にします。(この時の来日予定が青年将校の耳に入り、暗殺計画へと繋がるのですが)
しかしこの旅で訪れたヨーロッパ各国の状況は、チャップリンに強い危惧を抱かせるものでした。
彼は訪れたフランスの新聞社のインタビューに答えて、次のように言っています。
チャップリンの鋭い感性は、世界大戦に向かうヨーロッパ(特にドイツなど)の危険な動きを鋭く捉えています。
そしてあの名作、『独裁者』が生まれたりするのですが…。
偶然から暗殺を免れたチャップリンですが、その日に犬養首相が凶弾に倒れたことを知らされます。
彼は、犬養氏の息子さんのもとを訪ねて、首相の死を心から悲しみ悼んだそうです。
一つ目の≪五・一五≫について、私は番組を通じて新しい情報を得ることができましたが、それは私にますます「決して戦争をし
てはならないこと」を確信させ、同時に今の日本(世界も)の状況が危険なものであることを、悲しいけれど実感させるものとなりま
した。
★ 二つ目の≪五・一五≫は、戦後長くアメリカの統治下にあった沖縄が、やっと日本に返還された<1972年5月15日>の
ことです。
しかし私は情けないことに、その日が来ても、その日が47年前の沖縄返還の日であることを思い出せませんでした。
戦中も戦後も本土の楯となって、口に尽くせぬ犠牲を強いられてきた沖縄。
待望の返還も本土並みにはならず、今なお多大な犠牲を強いられている沖縄。
そういう沖縄のことをいつも心に置いてきたつもりだったのに、返還の日を忘れてしまうなんて!
私がそのことを思い出したのは、毎日新聞の下のような記事を目にしてからでした。
理不尽な沖縄の現状を何とかしたいと、ガンバり続けている人が沢山おられる!
何をどうしたらいいのかよく分からないけれど、せめて覚えていること、忘れないことくらいは、私にもできるだろう。
そう思い直した私の5月15日でした。
戦争に向かった過去と、戦後にも残された沖縄の問題などを考えると、決して二度と戦争をしてはならないと強く思う。
そう思えば思う程に、今の政治に危惧を覚える。
政治が、ゲーム化し、ショー化している。
トランプ大統領の今回の訪日も、一つの政治的ショーにすぎない。
そしてそのショーには莫大な国費が費やされる。
来日したトランプ大統領と安倍首相がまずしたのは、「ゴルフ」に「大相撲観戦」に「炉端焼きの夕食」。
「ゴルフ」も「夕食」も、もう慣れっこになってるが、今回の予定で私が腹に据えかねたのは、≪大相撲観戦≫だ。
今までにも外国の賓客が大相撲を観戦されたことは、幾度となくあった。
でも、今回のような形での観戦は今までに無かったし、それは、大相撲の長い歴史の中でも、恥辱的な出来事だったと思う。
土俵に一番近い升席を壊し、そこに上等な椅子席を置いて、その席に、厳重なSPに守られて入場したトランプ夫妻と安倍夫妻
が陣取る。
これって、安倍首相が大好きな『美しい日本の伝統』をぶち壊す行為ではないだろうか?
大相撲には、古くから培われてきた≪伝統≫というものがある。
その≪伝統≫の中では、<升席>を壊して<椅子席>を設置するなんて行為は、存在し得ないこと、許されざることなのだ。
普段、≪伝統≫を重んじる安倍首相が、こんなにも易々と≪伝統≫を踏みにじるのは何故だろう?
それは単に、自身の政治的パフォーマンスの為だけなのだ。
そしてそれは、安倍首相の言う≪伝統≫なるものが、彼の言うように決して<美しいもの>ではなく、政治的戦略として使われ
ている言葉に過ぎないことを、表している。
私は、安倍首相とトランプ大統領が、升席を壊した上に置かれたソファに座って、いかにも楽しそうに歓談し、挙句の果てには、
アメリカ合衆国杯なるものを急遽作り、トランプ大統領が土俵に上がってそれを優勝力士に授与する映像を目にすると、本当に
気分が悪くなった。
それは正に≪日本の伝統≫が、小汚い政治的パフォーマンスによって、汚された映像だったのだ。
そしてこの出来事がさらに私に危惧を抱かせたのは、このことに対するマスコミ(主としてテレビ)の、全く無批判な姿勢、むしろ
素晴らしいこととして、面白可笑しく仔細に報道する姿勢にある。
安倍首相の利用できるものは全て政治利用する汚い姿勢と、マスコミの、それに対する無批判な姿勢とが一体化したとき、
一体何が起きるのだろう?
それは、国論の統一であり、少数意見の無視であり、民主主義の否定につながる、恐ろしい道だと思う。
しかし、そういう私の危惧に対して、救いになる新聞記事もあった。
それを載せて、今後への希望としたいと思う。